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2023年03月25日

中国の世界観はどのようにして作られたのか

画像はこちらからお借りしました。福建土楼の写真です。美しい。

 

日本、中国、西アジア

それぞれ歩んできた歴史、環境の違いによって、思考の特徴、もっといえば世界観が違います。中国や欧米の方々と仕事をするときは、その世界観の違いに苦労することありますよね。相手の世界観を理解すること無しに、表面的に合わせても上手くいきません。ということで今回は中国の世界観を深堀してみたいと思います。

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2023年03月18日

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】~コラム編:企業や学校のテーブル形状の時代変化~

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】について、これまで以下3つの論点で記事を紹介しました。

①人類の適正集団人数からの推定

②現代的な感覚から読み解く

③自然との繋がりから考える

今回は、打合せ等の追求の場について、実際に企業や学校がどう変化してきたか見ていきます。

なかでも、時代変化がテーブルの形状にどう変化を与えているか考察します。

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2023年03月11日

中国の婚姻に対する価値観

(画像はこちらからお借りしました。)

婚姻史を扱っていくなかで、日本だけではなく世界に目を向けたとき、中国の婚姻史が 非常に興味深かったのでここで述べていきます。

中国の長い歴史の中で、国家成立初期と現代の婚姻へ対する価値観の比較をしていきます。

現代につながる価値観はあるのでしょうか?

 

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2023年03月06日

【古代西アジアの文明史②】定住化により変わり始めた人類の世界観

古代西アジアの定住生活イメージ。画像はコチラからお借りしました。

 

前回の記事(古代西アジアの文明史①)で扱った、集団社会の様子が大きく変わった各時代の状況について、より詳しく見ていきましょう。

まず最初の狩猟採集・定住の時代から、注目すべき2つの痕跡を見てみましょう。それが、定住生活が始まったとされるナトゥーフ文化(BC12500-9500頃)と、神殿(代表的なのはギョベクリ・テペ(BC10000~8000頃)と呼ばれる遺跡)です。

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2023年03月04日

【古代西アジアの文明史①】目まぐるしい文明の変遷を生み出した高い自然・同類圧力

画像はコチラからお借りしました。

 

古代人類の集団統合について、これまで日本の縄文時代を中心に扱ってきましたが、世界に拡げて目を見てみると、どのような観念(世界観)で集団が統合されてきたのでしょうか

 

統合する集団規模が大きくなると、ある程度秩序立った”文明”として社会の様子を表すものが出てきますが、その中でも中国西アジアなどは歴史的にも古くから人々が文明社会を築いてきたことが残されています。

前回扱った中国とは別に、今回は西アジアに焦点を当てて、当時の集団形態や、集団を統合する世界観とはどのようなものだったのか見てみたいと思います。

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2023年02月25日

今より8000年以上も前の中国における集団形態とは!?

こんにちは。突然ですが皆さんは“中国の古い歴史”と言われて何を思い浮かべますか?中国3000年の歴史?はたまたキングダム?では、日本における新石器時代(縄文時代)は中国では何年前なのでしょうか?

…実は今より8000年以上も前になります!今回はそんな8000年以上前の中国・小河西文化~趙宝溝文化における集団形態について追求していきます!!

査海遺跡三期集落   画像はこちらからお借りしました。


中国の新石器時代における集団形態について、今回は小河西文化・興隆窪文化・趙宝溝文化にそれぞれついて<集団形態><居住単位><墓葬><社会形態>の4つの軸からまとめていきます。

時代区分

<集団形態>
リンクによると小河西文化における集落には中型・小型・最小型の3種類が見られ、それぞれの中に居住区・祭祀区・埋葬区・生産区といった用途に応じた空間があり、居住・貯蔵・埋葬の跡が見られることから、これらの集落は血縁関係者により構成される社会集団であることが推察されている。
また、興隆窪文化においては集落を環濠・非環濠、中心・非中心の4つに分け2つの社会集団が食物生産について相互補完し合っていた部族社会であったと推察されています。また別の意見では集落を住居址(あと)・住居組・集落の3つに分け、住居址の中の列状住居址は大型・中型・小型の3つがあり、大型は老人と子供の居住や集落における会議場所があり、中型には祭祀・居住空間が、小型には居住・生産空間が存在している。
また、趙宝溝文化においては興隆窪からさらに分化し、住居址・住居組・住居群・住居列に分かれ分類としては見ているが、集落面積から規模差があることが分かっている。また、この頃になると遺跡分布も増え類似した土器が各遺跡から出現するため社会集団間の関係がより緊密になっていることが窺える。また、生産能力(農耕・狩猟)は向上させながら居住単位は小型化する傾向がみられてくる。

 


<居住単位>
岡村・大貫(1995・1998)によれば居住空間は性別分業により空間区分をすることができ、男と女がそれぞれ『』と『』に対応しているとしている。

<墓葬>
大南溝墓地(小河沿文化)は婚姻関係で結ばれた2つの集団の墓地であり、男女間分業・男性優位であった社会背景が副葬品の組み合わせと埋葬方法から分かっている。

<社会形態
社会形態においては小河西文化では小家族・拡大家族・氏族に分類され、それぞれ趙宝溝文化における住居・住居列・居住群(区)の分類と合致する。
興隆窪(等質社会)に分散的であったのが農耕の発展と協調的な変化によって趙宝溝(氏族社会)で集中化、集落間に規模差が見られ紅山(階層社会)でさらに集中化・独立化が顕著になっていった。

また、祭祀遺構として挙げられる龍形石堆は集落の集会所に血縁紐帯としての共同祖先を埋葬し血縁関係による社会集団を組織⇒社会全体に認められた祭祀用具や習俗が形成されていった。


以上より、生産力の高まりに従って基本的な生産単位が小型化し集中したが、集団を率いていく(集中させる)ために共同祖先祀ったことで血縁関係による集落規模差が生まれていったということがわかってきました。

次回以降は王朝成立以前(紅山・仰韶)についても触れていきたいと思います!

 

 

参考URL
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1931670/lit0222.pdf
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4945&item_no=1&page_id=13&block_id=161

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2023年02月20日

縄文土器の謎~あえて壊された破片が大半!?縄文時代の世界観とは~

 

割れた状態で発見された土器や土偶。

 

・出土される縄文土器には壊されたような跡。わざと壊している?

・エネルギーの循環のために土器を作って壊しているとすれば、粉々にして大地に返しても 良い。

 欠片が多く見つかるのと、各地から出土されるのとで、どう繋がり関係しあっているのか?

 

上記の追求に入る前に… 壊すために作られたとも言われている土偶について。 

①身代わり説。生存率が低かった時代、土偶を身代わりとしてあえて壊し怪我したところの 治癒や人類が長生きすることを願う。

②植物の精霊説。土偶は植物の精霊であり、植物をモチーフにして作られている。それを壊すことで豊作を願う。 

完全体で見つかったとされる土偶は全体の中の5%ほどと言われています。

 

<実は、土偶に限らず縄文人は、物を壊すことにこだわりをもっていたようです。土偶など よりも遙かに多くの数が発掘されている縄文土器も 99%以上のものが、どこかしら欠けた 状態で見つかります。明らかに叩いて壊されていたりするものもあります。 …  「土坑に土器を入れて壊す」あるいは「土坑に壊した土器を入れる」というような行為を縄文人は行っていたようですが、土器以外でも「壊す」ことは行われていました。たとえば中 期後半の住居跡では炉を形作る 4 枚の平石の一部をわざわざ抜き取り放置したりする例が 多く見られます。>  〈https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/401_500/0491.html>より引用。

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2023年02月19日

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】自然との繋がりから考える

前回の記事では、現代的な感覚から効率よく、全員が活力をもって追求の場に臨める最適人数は現代でも6人程度ではないか?
ということをお伝えしました。

今回は、自然界に存在する”6”という数字との連関から読み解いていきます。

まずは、自然界から見る”6”という数字の不思議についてお伝えします。

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2023年02月18日

【なぜ追求は6人が一番いいのか?】現代的な感覚から読み解く

(画像はこちらからお借りしました)

 

前回の記事では、歴史的な集団形態に照らし合わせて「仲間追求の最適人数は5~6人程度では!?」とお伝えしました。

果たしてそれは昔の人たちだけの感覚だったのでしょうか?


現代の様々な場面から読み解いていきます。

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2023年02月06日

【縄文~弥生時代においての婚姻制度の役割とは?(2)】妻問婚が男たちの活力を生み、集団を強固にさせる循環関係を作っていた

前回、弥生時代から古墳時代にかけて始まった妻問婚によって集団同士の関係を作ってきたことを扱いましたが、今回はもう少し掘り下げ、なぜ男が嫁いでいったのか?女性はどんな意識だったのかを考えていきたいと思います。

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当時の男の役割を考えると、大事なのは集団に変異促進をもたらす役割であり、外へ飛び出していくことで未知の外圧に適応していくことが男にとっての役割です。
男女の役割から見ていくと、男が他集団に嫁いでいったのも、外に出ることで成長していき集団を強くしていくことは本能的に理にかなっているといえますね。

 

では女の役割とは何でしょうか。
第一義的には安定存在として、子供を育て、集団を守ることではないかと思います。母系集団として女性が族長の役割を担っていることで、集団内の課題を察知し、女性同士でも、お互いが協力、情報共有をすることで集団を守っていったのかもしれません。

 

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