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2020年02月23日

7万年前に起きた現生人類の脳の突然変異説2~前頭前野統合と言葉の再帰構造を習得できるのは幼児期まで

7万年前に突然、人類が現代のような想像力と言語能力を獲得した要因は何か?

『WIRED』「人類の文化的躍進のきっかけは、7万年前に起きた脳の突然変異だった」2019.09.01の要約。

●言葉の再帰構造を習得できるのは子どものうちだけ
誰でも生涯をかけて語彙を増やし文法を習得することができるが、メンタル統合能力だけは、5歳くらいまでの幼児期に再帰構造のある言葉に触れておかないと、大人になってもこれを習得することはできないという。

13歳までいっさい言語に触れることのなかった少女をはじめとした10人の子どもたちは、何年もの言語トレーニングを経たあとでも、英語の「in」「on」「at」などの空間的前置詞、動詞の時制、および文章の再帰構造を完全に理解することはなかった。また、途上国で、再帰構造のある手話に触れる機会のなかった聴覚障害のある子どもたちも同様で、あとになって補聴器をつけたり徹底した言語療法を受けたりしても、「緑の箱を青い箱に入れる」などの簡単な指示をこなすことができないという。

再帰言語とメンタル統合能力は切っても切り離せない関係にある。こういった指示を頭のなかで想像して理解するには、5歳までに再帰言語に晒されることで鍛えられるメンタル統合能力が不可欠である。
そして、再帰言語とメンタル統合能力が、現生人類の文化的創造力に大きく貢献したと、ヴィシェドスキーは言う。

●そして、これが人類全体に広まるには、2つの障壁がある。
【1】メンタル統合能力を習得できる期間が長くなければならない。現在の子どもは5歳前後まで言葉の再帰構造の習得が可能だが、これがいまだ言葉があやふやな2歳までとなると無理がある。このことから、脳の前頭前皮質の成熟を遅らせる突然変異があったという。

【2】脳の構造がメンタル統合に適していたとしても、親が子どもに再帰言語を教えられなければ、子どもは習得できない。従って、前頭前皮質の突然変異を持ったふたり以上の小さな子どもたちが、互いに会話しながら長い時間を過ごし、再帰言語を発明したはずである。

このような新しい再帰言語の自然発生は、1970~80年代にニカラグアの聴覚障害がある子どもたちのなかで実際に観察されている。ニカラグア手話は、かつて家庭内で必要最低限のジェスチャーでしかコミュニケーションがとれなかった子どもたちが施設に集められ、そのなかで独自に生み出された言語だ。新たに発明された手話は年少者へと受け継がれて年月とともに複雑化し、ついには数世代で再帰構造を含む洗練された言語へと進化を遂げたのである。

ヴィシェドスキーは進化の数理モデルによって、前頭前皮質遅延の突然変異とメンタル統合獲得が、ほぼ同時期に起こり、人類はほんの数世代でこのふたつの障壁を乗り越えたとしている。

前頭前野の突然変異をもつ子どもたちは、互いに会話し合うなかで空間的前置詞や言語の再帰要素を発明し、再帰的な会話によって発達するメンタル統合能力を手に入れた。これにより、記憶にある対象を組み合わせてまったく新しい何かを脳で想像できるようになった。また、子孫に再帰構造のある言葉を教えたはずである。こうして、7万年前にホモサピエンスはメンタル統合と再帰言語を獲得したと、ヴィシェドスキーは結論づけている。
「メンタル統合のプロセスで可能となった脳内で対象物の素早い並置ができる新たな能力は技術進歩の急激な加速をもたらした。どんな計画でも頭のなかでシミュレートする能力と、それらを仲間に伝達するという能力を備えた人間は、一気に支配的な種になる準備が整った」

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2020年02月23日

7万年前に起きた現生人類の脳の突然変異説1~前頭前野統合と言葉の再帰構造

洞窟壁画や道具の発達といった人類の文化的・技術的進化をもたらしたのは、7万年前の脳の突然変異だったとする説が提起されている。

『WIRED』「人類の文化的躍進のきっかけは、7万年前に起きた脳の突然変異だった」2019.09.01の要約。

60万年前には現代のような音声器官が備わっていたとされている。また、チンパンジーの音声器官に20~100の異なる発声があることから、人類の祖先が主要なコミュニケーションに使用していた単語の数は、現在とさほど変わらなかったと考えられている。
にもかかわらず、洞窟壁画、住居の建設、副葬品を伴う埋葬、骨製の針等の道具の専門化など、現生人類の文化的創造性を示すものは、7万年前よりも以前には発見されていない。

7万年前に突然、人類が現代のような想像力と言語能力を獲得したのはなぜか?

ボストン大学の神経学者アンドレイ・ヴィシェドスキー博士は、それを脳の前頭前野の発達を遅らせる突然変異だとする。
ヒトの前頭前野は霊長類のなかでも極めて発達が遅く、20代半ばから30歳くらいまで発達し続ける。ヴィシェドスキーは、前頭前野の脳障害や脳の成長過程で直面する言語的理解の発達を挙げ、前頭前野による知覚世界と内なる思考の統合が想像力獲得に不可欠だったとしている。

 ●外側前頭前野と言語の関係
ヴィシェドスキーによると、脳の外側前頭前野には「記憶にあるもの」と単語や文法を統合し、まったく新しいものを頭のなかで想像することを可能にする機能がある。

外側前頭前野に損傷がある場合、人は物と物の関係や、相対性を表す文章が理解できなくなるという。例えば「犬は賢い」という単純な文章は理解できても、「犬は猫よりも賢い」となると、どちらが賢いのかわからなくなる。「円の上に三角を描く」「春は夏の前に来る」なども、物事の上下関係や前後関係の理解がなくなってしまう。

このように、記憶のなかの複数の単語を意味のあるメンタルイメージとして合成するプロセスは、「前頭前野統合」または「メンタル統合」と呼ばれている。

 例えば、『犬がわたしの友達を噛んだ』『わたしの友達が犬を噛んだ』という2つの文がある。
使われている単語と文法がまったく同じ場合、単語か文法かのどちらかを使用して、意味の違いを区別することは不可能である。“心の眼”で「犬」と「友達」の関係をイメージできたとき、これらの文章は初めて特定の意味をもつ。「メンタル統合」とは、複数の単語とそれらの関係を脳内で統合し、想像することを可能にするプロセスなのである。

 ●メンタル統合能力の重要性
文章のなかでも「入れ子構造(または再帰構造)」になっているものの理解には、メンタル統合能力が不可欠である。
言葉の再帰構造が理解できれば、例えば「父がかつて溺愛していた猫」→「母は『父がかつて溺愛していた猫』にそっくりな猫を拾った」「『母は“父がかつて溺愛していた猫”にそっくりな猫を拾った』と兄が言っていた」といった具合に、次々に文をつなげてイメージを膨らませることが可能になる。

単語の柔軟な組み合わせと入れ子構造は、すべてのヒト言語に特徴的な機能であると、ヴィシェドスキーは言う。
しかし、複数の単語が複雑に組み合わさった入れ子構造の文章が理解できるかどうかは、受け手の前頭前野外側での統合能力にかかっている。

そして、それを可能にするメンタル統合能力の発達には、非常に重要な時期がある。それは5歳までの幼児期である。

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2020年02月20日

現生人類よりもネアンデルタール人は小脳が小さく、後頭葉が大きい。

●2018年に慶応大学荻原教授、名古屋大学田邊教授を中心とする研究グループが、数理工学的手法によって旧人ネアンデルタール人と新人クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)の化石頭骨内の脳の形態を復元したと発表。
「脳の形態復元により、根案であるタール人のほうがホモ・サピエンスより小脳が小さいことを発見~絶滅の背景に脳の機能差が関係か?~」
その骨子は次の通り。
「脳全体のサイズには大きな違いはないが、ネアンデルタール人の小脳は、当時のホモ・サピエンス(クロマニヨン人)よりも小さい。
ネアンデルタール人の方が後頭葉が大きい一方で、違いが予想された前頭葉については、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も差がなかった。
現代人の小脳の大きさと様々な認知課題成績の関係を調べた所、小脳の全脳に対する相対的な脳容量比が大きいほど、言語生成や理解、作業記憶や認知的柔軟性など、高度な認知的・社会的能力も高いという関係がある。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの小脳の違いが、両者の命運を分けたと考えられる。」

 ●人類の言語機能進化は、小脳の発達による所が大きいことが明らかになっている。
『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(中田力著 紀伊国屋書店)に、鳥類の歌う機能と対比しながら人類の言語機能を司る脳の仕組みを論じた一節がある。

その論点は、
【1】鳥類には知性(観念機能や共認機能)はないが、言語機能(聞いて真似て発声する機能)は持っている。このことは言語機能(聞いて真似して発声する機能)は観念機能とは独立して存在し得る本能機能であることを示唆している。

【2】人類も鳥類も、運動機能を司る小脳の進化によって、言語機能を進化させた。人類の脳が相対量として最も増加させた脳は小脳であり(絶対量としては前頭葉である)、鳥の脳でその中心を占める脳もまた、小脳である。

【3】人類も鳥類も言語機能に優位半球がある(左脳優位になる)。

【4】言語(発声)機能に使われる筋肉(球筋)は、もともと呼吸や食物摂取をはじめとする基本的な生命維持に必要な筋肉である。一般の筋肉は右側の筋肉は左脳、左側の筋肉は右脳に支配されているが、この球筋は左右両脳の支配を受ける。これは、片側の脳に障害が起こっても、生命維持に不可欠な球筋が麻痺しないためである。


【5】ところが、言語機能の場合だけ、右脳の支配を抑制制御する仕組みを脳は作り上げた。これが言語機能における優位半球(左脳優位)である。

以下、その引用。
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脳科学の立場から興味深いことは、カナリヤが歌を歌うために用いる脳に優位があり、その内容が学習によることである。カナリヤは人間の言語同様に、片側の脳を優位に使って歌を歌い、父親から最初の歌を習う。

ここに、ヒトの言語が生まれてきた秘密を解く鍵が隠されている。
脳の機能画像で確認されたことの一つが、言語と音楽とは、少なくともヒトの脳にとっては、ほとんど同一の機能であること。
ここから、言語機能の発生にとって、高い知能が必須でなかったことがわかる。
オウムも九官鳥もカラスも、人間の真似をしているだけではあるが、言葉を話す。ヒトの言語が鳥の「オウム返し」の言語と違うところは、高度の知性にもとづいていることである。鳥は言語機能を獲得したものの、高い知性を獲得しなかったために、あまり知性の高くない言語しか持っていない。

ヒトも鳥も小脳の機能を顕著に進化させることで、運動機能の飛躍的進化を果たした。事実、ヒトの脳が相対量として最も増加させた脳は小脳であり(絶対量としては前頭葉である)、鳥の脳でその中心を占める脳もまた、小脳である。
言語機能は運動系の進化から、それも、小脳の進化から生まれてきたと考えられる。
音による意志伝達の方法論を既に獲得していた哺乳類であるヒトの祖先は、高度化した声を出す運動機能を用いて、音による意志伝達のための機能をも精密化することに成功する。ここに言語が生まれることとなった。
言語機能にとって小脳が重要な役割を果たすことは、自閉症の研究によって知られていた。言葉を発しない子供たちに共通の因子は、小脳の未成熟度であった。
鳥類は小脳の進化による運動機能の精密化を飛行という形で成し遂げた。中には、その能力を発声の運動機能に応用する種が生まれ、音楽機能を獲得したのである。しかし、鳥類では、高度な知能を保証する脳はなく、その結果、歌を歌う能力と、オウム返しの言語能力しか獲得できなかった。

歌を歌う鳥はその音楽機能に片側の脳を優位に使う。ヒトが言語機能に優位半球を持つこととまったく同じである。
ヒトの脳が持つ左脳と右脳との機能乖離はヒトの脳が持つ最大の特徴とされるが、歌を歌う鳥は同じような機能乖離を獲得している。人類と鳥類というかけ離れた進化の道を歩んだ種が、音楽機能と言語機能という基本的に同一の脳機能を誕生させるに至って、優位半球という極端に特殊な機能形態をも共有することになったのである。
これは、言語機能の基本構造が調音器官の精度の高い運動機能として登場する時に、優位半球を持つことが必須であったことを意味する。
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● ネアンデルタール人の方が大きい後頭葉については以下の通り。ウィキペデイア「後頭葉」

後頭葉は4つの大脳葉の中で最も小さく、頭蓋内で最も後方に位置する。後頭葉は大脳と小脳の間を仕切る硬膜である小脳テントに接している。
後頭葉は視覚や色彩の認識をつかさどる機能を持っている。網膜からの感覚刺激は視神経を通って視床の外側膝状体に入り、そこから大脳半球内部の視放線を通って後頭葉の一次視覚野に送られる。
後頭葉後部の皮質の神経細胞は、網膜上に映る視空間が再現されるように配列している。網膜が強いパターン刺激にさらされると、それと同じパターンが皮質上に応答することが、脳機能イメージングで明らかにされている。もし一方の後頭葉が傷害されると、どちらの目で見ても視界が左右の半分だけ(傷害された側と反対の側が)欠損してしまう同名半盲という症状が起きる。また後頭葉は、聴覚にも関与していることが示されている。

ということは、ネアンデルタール人は現生人類よりも視覚は発達していたが、言語機能(聞いて真似して発声する機能)は未発達であったということになる。

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2020年02月20日

原始人類の道具の進化~4.5万年前までは現生人類も旧人も原人も、同じ原始的な石器を使っていた?4.5万年前から現生人類が急進化?

『宇宙スープ』「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの石器の変遷」の要約。

人類の石器時代は、旧石器時代(前期・中期・後期)/中石器時代/新石器時代に分かれる。

 ネアンデルタール人が棲息していたのは40万~3万年前。中期旧石器時代から後期旧石器時代の初めに当たる。この時期、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが使っていた石器は、荒々しいハンドアックス、そして道具としては一段階進歩を遂げた剥片石器である。

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ところが、後期旧石器時代にさしかかる4.5万年前より以前の遺跡には、剥片石器よりも洗練された石器は出土しない。つまり、4.5万年前以前には、ホモ・サピエンスもネアンデルタール人もデニソワ人もホモ・エレクトスも、原始的な技術力しか持っていなかった。

ところが、約4.5万年前あたりから、ホモ・サピエンスが所有する石器だけが急激に洗練され始める。以下のような多様な石器が次々とあらわれ、用途が分化してゆく。

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 時系列でまとめると次のようになる。

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ホモ・サピエンスがホモ・エレクトスから進化したのは約20万年前。解剖学的に現在の人類と変わらないホモ・サピエンスは、登場以来少なくとも15万年ほど、原始的な石器をつくり続けた。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスに言葉の質の違いがあったとするなら、その石器にもその違いが反映されているはずだが、ホモ・サピエンス登場から15万年間も道具に違いが見られないということは、同じレベルの言語能力だったと考えるしかない。ネアンデルタール人がホモサピエンスよりも劣っていたと考えることはできない。

 では、4.5万年前に何が起こったのか?

 ①脳容量の違いは20万年前から現在に至るまで生まれていない。(むしろ脳容量は現代までの間小さくなっている)

 ②言語を司る遺伝子FOXP2はネアンデルタール人も持っている。
FOXP2とは言語能力を司るとされている遺伝子。イギリスに住むある家系の数十人が、3世代にも渡って、うまく言葉を話せない先天性の障害をもっていた。彼らの遺伝子には第7染色体に突然変異が見られることが判明。この研究を契機として言語を司る遺伝子FOXP2の存在が明らかになった。
ネアンデルタール人ゲノムの解読の結果、ネアンデルタール人がFOXP2遺伝子を持っていたことが明らかになっている。

2015年NHKスペシャル「生命大躍進」では、FOXP2遺伝子の近くで、ネアンデルタール人ゲノムに変異が見つかったので、これが原因でホモ・サピエンスほどの言語能力がなかったのではないか、という見解。だとすれば、4.5万年前ホモ・サピエンスにだけその部分に突然変異がおこり、一瞬でグループ内に広がったということになる。

③ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは交雑していたことも判明している。その結果は、「現生人類ゲノムの約1-4%がネアンデルタール人由来」である。重要なのは「ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人との間にできた子どもを育てた」という厳然たる事実である。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は協力して子どもを育てた可能性すらある。だとしたら、ネアンデルタール人がしゃべらなかったということがありえるだろうか?

 ④ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの文化を真似た。
後期旧石器時代になって、シャテルペロン文化とよばれる文明が発達する。この文明を発展させた者が誰なのか長年議論されたが、ネアンデルタール人の化石といっしょに遺跡が出土したことで確定的になった。シャテルペロン文化は、ネアンデルタール人が発展させたものであり、かつてのネアンデルタール人にはつくれなかったはずの、高度な石器類をもつ。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの文化を真似たと考えるしかない。
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石器の他にも、5万年前頃から現生人類が飛躍的に知能進化したとされる傍証がある。
5万年前の海洋技術、4.2万年前貝製の釣り針、3.5万年前の精巧な骨角器、3.2万年前ショーヴェ洞窟壁画等
また、人類が著しく言語を発達させたのも5万年前とされている。「人類は5万年前頃に言語を著しく発達させた!?」

5万~4.5万年前に現生人類に何かが起こった可能性はある。

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2020年02月18日

アフリカ人にもネアンデルタール人DNA。定説が覆る。

ヨーロッパ人とアジア人のゲノムの約2%はネアンデルタール人に由来する。一方、これまでアフリカ人は、この交雑の証拠をほぼ持たないされ、それが人類のアフリカ単一起源説を補強していた。
しかし、ナショナルジオグラフィックの最新記事によると、アフリカ人にもネアンデルタール人由来のDNAがあることが判明し、これまでの定説が大きく覆っている。

以下、(リンク)より。

1月30日付けで学術誌「セル」に発表された論文は、驚くべき事実を明らかにした。現代のアフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAは、従来考えられていたよりも多いことがわかったのだ。さらに、ヨーロッパ人が持つネアンデルタール人由来のDNAも、これまで考えられていたより多いことが明らかになった。
論文著者である米プリンストン大学の遺伝学者ジョシュア・エイキー氏は当初、結果を信じられなかった。「そんなはずはないと思ったのです」と氏は振り返る。しかし、1年半にわたる厳密な検証の末、氏らは自分たちの正しさを確信するようになった。

現代人とネアンデルタール人の交雑を追跡する従来のモデルでは、ネアンデルタール人などのDNAを持っていないと考えられるグループのゲノムを参照集団として利用してきた。参照集団に選ばれるのはたいていアフリカ人だった。「この仮定は妥当ではありませんでした」と米ウィスコンシン大学マディソン校の古人類学者ジョン・ホークス氏は言う。アフリカ系の人々もネアンデルタール人由来のDNAを持つ可能性があるのに、この方法で分析を行うと、それが見えなくなってしまうからだ。

そこでエイキー氏らは、大量のデータセットを使って、ゲノム中の特定の部位がネアンデルタール人から受け継がれている確率とそうでない確率を調べた。彼らは「千人ゲノムプロジェクト」の一環として集められた世界各地の2504人(東アジア人、ヨーロッパ人、南アジア人、アメリカ人、主に北部のアフリカ人)のゲノムを使い、自分たちの手法をテストした。続いて、このDNAをネアンデルタール人のゲノムと比較した。

研究の結果、アフリカ人のゲノムのうち約1700万塩基対は、ネアンデルタール人に由来することが明らかになった。しかもその一部は、ネアンデルタール人が直接アフリカに渡ったというよりも、ヨーロッパからアフリカに戻って来た現生人類がもたらしたようだ。現生人類の初期の移動については、「アフリカを出たら二度と戻らなかったという説があります」とエイキー氏は言う。しかし今回の結果や近年の研究からは、その説が正しくなかったことが浮き彫りになる。「橋は一方通行ではなかったのです」

「パズルのすき間を埋める非常に良いピースです」とドイツのマックス・プランク進化人類学研究所の計算生物学者ジャネット・ケルソー氏は話す。「きわめて複雑な全体像が見えてきました。遺伝子の流れは1つではなく、人類の移動も1回きりではありません。数多くの接触があったのです」 しかし、人類の起源の複雑さを解明するには、その曲がりくねった道を解きほぐす手法を開発しなければならない。

今回の研究には、シベリアの洞窟で発見されたネアンデルタール人のゲノムが使われている。だが彼らは、私たちがDNAを受け継いだネアンデルタール人とは別の集団と考えられている。エイキー氏によると、新しい分析法はこうした集団の差を検出できるほど精度が高いわけではないため、わずかに異なるDNAが含まれている可能性はあると言う。今回の研究は、近年行われている他の遺伝子分析と同様、ヒト族の間で常に交雑と移動が起きていたことを示しており、人類史の物語を絶えず評価し直す必要があることを示唆している。

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2020年02月18日

母系社会シリーズ~ミナンカバウ部族~

母系社会シリーズ、今回はインドネシア西スマトラ山岳部のミナン地方に暮らす、ミナンカバウ部族の母系社会についてリンクより紹介します。

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ミナンカバウ人は母系社会という世界でも特異な社会形態で知られている。
母系社会の基本は氏族の系譜を母である女性を通して辿ることである。母系社会では氏族の共有財産は女が引き継ぐ。田畑、家屋の財産は母から娘に相続さる。牛の形をした民族色豊かなルマ・ガダンという伝統家屋も母から娘へ代々引き継がれる。
夫である男(スマンド)には相続権は一切なく、男自身の財産も姉妹の娘に相続される。男が氏族の財産に対して行うことは姉妹に代り財産の管理を行うことである。ミナンの諺では「スマンドは水牛の尾にとまっている虻か、切株の上の灰のようなもの」といわれる。

結婚は妻問婚が原則である。妻問婚とは夜だけ妻の所へ訪れるもので昼は別の所で生活する。伝統家屋には娘の部屋はあるが、成人の男子の居場所はない。成人になった男は昼は生家の田畑で働き、夜はアダット・ハウスという集会場かモスクにたむろする。結婚した男は、夜、寝るためにだけ妻の家に通う。

家を取り仕切る必要な男手は夫ではなくて妻の兄弟である。男は自分の子供ではなく、姉妹の子供の扶養義務がある。子供にとって母の兄弟である伯父ママックは父よりと親しい関係になる。これが母系社会の仕組みである。

母系社会とは男が虐待された社会のように見える。しかし母系社会は女権社会ではない。長老、大家族長、スク(氏族)の長の政治権力は男性にある。政治権力を有する男性は家長である女性の兄弟である。いわば政治は男、経済は女の分業体制である。繰り返すと男は財産の管理者であるが、所有者にはなれない。

結婚についても例えばコタ・ガダン出身の女性はコタ・ガダンの男性としか結婚できない。これに対して男性にはそのような制約はない。財産を相続できない男はその替わり自由である。
財産を相続する女に個人的な自由はない。

ミナンカバウの母系社会とはいわば女性は田畑や家屋という財産に縛り付けられていることである。母系社会のこれらの実態はむしろ女性差別でないかと教育を受けたミナン人の女性が伝統社会に呪縛されることの不条理を訴えている。
しかしながら近代社会の発展によりミナン人が異郷に家庭を持つようになった。異郷ではスマンドの存在が大きくなり、1974年の婚姻法の影響もあり、異郷のミナン人の母系社会は崩壊しつつある。

最後に母親を軽んじるとどんなことになるかというミナンカバウの民話を記しておく。マリン・クンダンは故郷を離れて異国の地で金持ちの娘と結婚する。帰郷した際に母親があまりにみすぼらしかったため知らないふりをした。母親に呪いをかけられマリン・クンダンは石になった。ミナンカバウ人の諺によれば「天国は母の足の裏にある」そうだ。
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・夫である男には相続権は一切ない
・母系社会は女権社会ではない~
長老、大家族長、スク(氏族)の長の政治権力は男性にある。
・男は財産の管理者であるが、所有者にはなれない。
・財産を相続する女に個人的な自由はない。
・ミナンカバウ人の諺によれば「天国は母の足の裏にある」

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2020年02月16日

原始人類の道具の進化 セム系部族の石器等

●中東(西アジア)の石器の進化
『セム系部族社会の形成~ユーフラテス河中流域ビシュリ山系の総合研究』が詳しい。

中東において国家を形成したセム系遊牧民の原郷と考えられているのが、北メソポタミア山麓地帯南方のビシュリ山系。
セム系部族の石器が画像データで一覧化されている。1970年代のイラク国立考古学博物館展示物とのこと。
↓下記リンク【1】~【3】をクリックして参照ください。

【1】「旧石器時代(前期・中期・後期)」

【2】「続旧石器時代~無土器新石器時代」

【3】「新石器時代~金石併用時代」

シュメール以前のサマッラ期(7500~6500年前)には母神像が多数出土。ウバイド期(7500~5500年前)は女神像が多数出土。
この時期まではセム族も母系制(母権制)だったと考えられる。

ウルク期(6000~5100年前)以降は母神像・女神像がなくなり、少数の女性裸像のみ。この頃(5500年前頃?)に父系制へ転換したと考えられる。

 

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2020年02月16日

原始人類の道具の進化 30万年前~1万年前

●石器の時代区分
前期旧石器時代 260万~30万年前 ジャワ原人 北京原人
中期旧石器時代  30万~3万年前 デニソワ→ネアンデルタール→現生人類
後期旧石器時代    3万~1万年前  現生人類
(ヨーロッパでは2万年前~1万年前を続石器時代と呼ぶこともある)
新石器時代    1万年前~    栽培

●前期旧石器時代(260万~30万年前)
原始人類の道具の進化史 260万~30万年前の石器参照

● 中期旧石器時代(30万~3万年前)
石器製造は、さらに高度な石核調整技術ルヴァロア技法が編み出され、より精巧な剥片石器の量産が可能となった。この手法によって木製の軸に鋭く先のとがった石片を付けることで石の付いた槍を作れるようになった。この技術を手に入れていたネアンデルタール人らの集団は、現代人類同様に狩りをしていたようである。ネアンデルタール人は待ち伏せるか、槍を突き刺すような乱闘用兵器で攻撃することで大きな猟獣を狩っていた。

●後期旧石器時代(3万~1万年前)
石刃系の文化が特徴。石器のほかに骨角器の使用も認められる。洞窟絵画などの原始美術も現れはじめる。また人間が生活領域を大きく広げたことも一つの特色。

「中期旧石器時代」の画像検索結果

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について

細石器】日本では2万年前に登場。
長さはだいたい3センチ以下、幅0.5センチ前後で小形の石刃で、、幾つかを木や動物の骨の柄に溝を掘り、はめ込んで使用した。植刃器や尖頭器として用いられた一種の替え刃式の石器である。槍や銛の先端近くに刃として埋め込んで貫通性能を高め、槍全体を軽量化することによって投げ槍としての命中率を高める効果も期待されたと推測される。別名、細石刃(さいせきじん)。 しかし、日本では、細石刃を装着した実例は知られていないが、シベリヤや中国の出土例から類推されている。

世界にさきがけて中国東北部からシベリアのバイカル湖付近で発達したと考えられており、アルタイ地方には約4万年前頃に幅1センチメートル以下の石刃(細石刃)がすでに発生していたという。アラスカに至るまで瞬く間に広がり、世界各地の広い範囲から出土している。

「石刃技法 ナイフ」の画像検索結果

石刃技法とスイスアーミーナイフ効果

●新石器時代(1万年前以降)
【磨製石器】新石器時代を代表する道具で、世界で広く使われた。
磨製石器は打製石器さらに砂や他の石で擦ることにより磨いて凹凸を極力なくした石器をさす。磨かないものが打製石器である。母材の石が緻密なほど表面はなめらかで鋭利となり、樹木伐採などに使用する場合でも何度も繰り返して使用できる。

オーストラリアと日本では、旧石器時代に刃部磨製石斧(局部磨製石斧)が作られた。最古の例はオーストラリアで4.7万年前にさかのぼるという。日本では3.8万~3.5万年前に出現し、打製石斧と併用したが、3万年前には見られなくなった。

 

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2020年02月09日

母系社会シリーズ~原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった

『実現論』「序2.私権時代から共認時代への大転換」より。

古代初期、王国が誕生した段階では、武装勢力を率いてきた部族長が王となり、将たちが貴族となって、国を治めていた。

ただし、部族長は、もともと祭祀を司る長でもあったが、王国が誕生する前後に、祭事は神官(後に教団)に委ねられてゆく。次に、国の規模が大きくなると、政治も官僚に委ねられていった。

そして、教団勢力が大衆の共認支配を担い、官僚勢力が大衆の法制支配を担うことによって、現実に社会を動かすと共に、その権力をどんどん拡大していった。

その結果、王は、形の上では最高権力者だが、それは表向きだけで、実権は官僚や教団が握って好きなように社会を動かすようになり、王は彼らが進める彼らに都合のよい施策に、お墨付きを与えるだけの存在にまで形骸化する。要するに、名前だけのお飾りである。

『るいネット』「原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった」より転載。

「部族長は、もともと祭祀を司る長でもあった」ということだが、祭祀(を司る長)とはいつ登場したのか?

祭祀を司る長とはシャーマンのことであり、古くは原始人類の精霊信仰にまで遡る。古代では王と祭祀長は分化しているが、原始人類ではどうだったのか? そもそも原始人類のリーダーの役割は何だったのか? そこから考える必要がある。

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った。そして、人類は1~2万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。

まず、この原始人類の生存状況に同化してみよう。

洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。主要な食糧は肉食動物が食べ残した動物の骨であったが、それを拾い集めるのは短時間で済み、何より洞窟の外は危険が一杯なので、長時間も居られなかった。
つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?

まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。
カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。
この踊り=祭りの中でトランス状態に入り、そこで観た幻覚の極致が精霊である。
人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。

脳回路の最先端に精霊信仰の回路が形成されて以降、人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
精霊信仰に先端収束することによって統合された人類集団では、精霊への祈りが最も重要な課題であり、元々は二足歩行訓練という目的であった踊りや祭りも、精霊への祈りが主要な意味に変わっていったであろう。
また、それに応えるために最も霊感能力の高い者(一般的には女)が集団のリーダーになったはずである。

このように原始人類集団では、祭祀の長(シャーマン)=部族長である。部族長がいなかった部族があったとしても、シャーマンのいない部族はなかったであろう。 

もちろん、祭祀とは別に、食糧(動物の死骸の骨)を拾いに出る決死隊も必要であり、そのリーダーは男が担っていたが、霊感能力の高いのは一般に女であり、原始人類の集団のリーダーは女が担っていた可能性が高い。(集団のリーダーは力の強い男という固定観念を塗り変える必要がある。)

そして、集団のリーダーになったのは経験智の高い婆さんである。
この婆さんが娘たちの婚姻相手を決めるわけだが、その相手は集団で最も優れた男=首雄になるのは必然である。このように、原始人類の首雄集中婚は男が主導したものではなく、女たちが望んだものなのである。
人類に限らず殆どの哺乳類が首雄集中制をとっているが、生殖過程(雌雄関係)の主導権を握っているのは雌(女)たちであって、首雄集中婚だからといって雄(男)が主導権を握っていたと見るのは大きな誤りである。

観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、2万~1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。

それでも5000年前の中国では農耕の母権社会であった。このことも、それ以前の人類集団のリーダーが女であったことを伺わせるものである。

中国の母権社会は採集→農耕部族の例であるが、狩猟部族でも北米インディアンは母系だし、父権制に転換したゲルマン人でも、戦いの際には女たちが男たちの尻を叩くなど、母権制の風習を残している。ということは、闘争圧力が高い狩猟部族でさえ、元々は母権社会であったと考えられる。

ところが同類闘争圧力→戦争圧力が高まると、戦闘集団の長(男)が部族長になり、戦争の果てに古代初期に王国が誕生すると、武装勢力を率いてきた部族長が王となる。
このように、元々の人類集団では祭祀長が部族長だったのが、闘争圧力が上昇したことにより、戦闘隊長が部族長に昇格し、その下or横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した。(なお、東洋では神官集団はほとんど例外なく女集団である。)

このような長(リーダー)の役割の交代の背後にあるのは、大衆の期待の変化である。
原始時代~採集生産時代は自然圧力に適応することが集団の成員の期待であって、それに応えるために長には祭祀能力が求められた。同類闘争圧力が高まり戦争が始まると、防衛や闘争勝利が大衆の期待となり、それに応えて武装勢力の長がリーダーに変わったのである。

※精霊信仰⇒祭祀は自然を対象としているが、同類を対象とする同類闘争→戦争でも部族長には予感・予測能力が求められた。その予感・予測能力は霊感能力に近いものであっただろう。実際、未だにアラブでは部族長に求められるのは予感・予測能力である。

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2020年02月06日

母系社会シリーズ~母系社会が平和への鍵になる~

古代には、世界中に多くの母系社会が存在していたと言われており、日本にもかつては母系社会が存在していました。
しかし、現代まで母系社会を継承している民族はとても少なくなっています。
なぜ、母系社会は消えてしまったのでしょうか?
リンク より紹介します。

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なぜ世界から母系社会は消えたのか 女性性を尊重しない社会は滅びる!?

~前略~

母系社会を簡単に説明すると、一般的には母方の血筋を継承していく家族であること、つまり、現代の日本は「父系社会」なので、父親から息子へと男子が家を継いでいくところ、母から娘へと女子が継いでいくということになり、現代とはまったく逆の制度になるということです。ただし、このように簡単に説明してしまうと単純な制度や習慣の違いと捉えられがちですが、その違いによる社会への影響はとてつもなく大きかったと予想しています。  なぜ予想と書いたのかですが、あらゆる時代を通して母系社会の歴史的な背景やその重要性を体系的にまとめた文献が、ほとんど存在していないからです。つまり現代においては、すでに遠い過去の取るに足らない制度であり、原始的な習慣の名残という程度の認識しかありません。稀に民俗学の分野などで「古代から残っている珍しい習慣」という取り上げ方ぐらいにしかされません。

古代には、世界中に多くの母系社会が存在していたと言われています。現存している先住民族の中でも母系社会を継承している民族の分布を見ると、熱帯地方に多く集中しており、寒帯地方では少ない傾向があるようです。また、農耕を中心とする民族に母系社会が多く、牧畜を中心とする民族には少ない傾向があります。これだけを見ると、温暖な地方で農耕を営む民族には母系社会という構造が適していたのかもしれません。
さて、母系社会の大きな特徴をまとめると、部族の長は女性であり、その女性が部族内をすべて取り仕切り部族全体に大きな影響力を持っています。しかしその内部は非常に民主的に運営されており、決して封建的ではなく、すべての者に寛容な社会を築いています。

中国雲南省の奥地に存在する「モソ」という民族は典型的な母系社会を継承していますが、その特徴を見るのが分かりやすいと思います。まず、結婚という制度がないため夫婦という関係性もなく、その概念すら存在しません。ではどうなっているかというと、「走婚」つまり「通い婚」になっているのです。男性は好きな女性の家に通いながら、というより女性が好きな男性を呼び、関係性をつくります。最低限のルールがあるにせよ、一緒に住むのも自由だし、その関係を終わらせるのも自由なのです。もし子供が出来た時は女性の家族が皆で育てることになり、男性には一切の養育の義務はありません。父親が誰であるかは重要ではなく、誰が産んだのかが大切にされます。  このような習慣を現代の常識的な目線で見てしまうと「これで社会が成り立つのか?」という疑問が浮かぶと思います。民族の構成はシンプルで農耕を中心とした社会なので、必要以上に現金収入を必要としていないから成立していたという背景もあります。また男性の存在感がないわけではなく、地域社会の中でしっかり役割があり責任ある仕事が任されています。ただ、至って自由であるということ。前述のように男女関係だけではなく、すべての人間関係が、とてもおおらかで寛容な社会を築いていたということです。この傾向はモソだけではなく、多少の違いはあれ母系社会を築いている民族ですべてに見られる傾向です。

かつての日本も平安時代までは明らかに母系社会を築いていたといえます。おそらく当時は一部の貴族や武士階級を除き、明確な結婚の制度もなく女性が家系を継いでいました。源氏物語をご存じの方ならその時代背景が何となく分かると思いますが、あまりに自由奔放な暮らし方に理解に苦しむ部分があるのではないでしょうか。もちろん物語として脚色されている部分もあるでしょうし、貴族の話なので特殊な環境ではあります。少なくともとても自由な人間関係を許容する社会があり、個人的な人間関係に留まらず、社会のあらゆる仕組みの中に平和的な影響を与えてきたと考えています。

では、なぜそこまで定着していた母系社会が消えていくことになったのでしょうか。ここからは私自身の推測も交えて進めていきたいと思います。

世界的にみると人々の生活習慣や社会的な仕組みに大きく影響を与えた出来事は宗教の広がりです。有史以来、世界に急速に広まった宗教には女性を蔑視する内容がとても多いことに気が付きます。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教にいたるあらゆる主な宗教で経典の中に明確に女性蔑視を記述しており、表向きは平等と教えながら本質的に男性から劣っている存在であると位置づけていることから、とても矛盾をはらんでいます。神道についても穢(けが)れという考え方があり、例えば相撲の本場所の土俵には女性が立ち入ると穢れるという理由から厳しく禁じています。  もちろん宗教もその時代とともに内容の解釈や記述が変えられてきているので理解は様々です。宗教の発祥初期からそのような教えがあったかは定かではありません。ただし、世界的に共通していることは、みな同じように男女の関係性に抑圧的な厳しい戒律を設けて、女性の位置づけを低く保ち、同時に善悪の概念を強力に植え付けてきたと言えるでしょう。

日本も平安時代以降、本格的に仏教が普及してきたところから、明らかに父系社会への転換が起こりました。それが直接的な要因と断言できませんが、やがて戦国時代へと移り変わっていきます。

ではなぜ、そもそも多くの宗教が女性を蔑視してきたのでしょうか? ここは大いに想像力を膨らませる必要がありますが、それは主な宗教が常に権力と結びついてきたという経緯があります。  歴史上、常に政治が宗教を利用して、逆に宗教も政治を利用してきました。時の権力者たちは民衆をコントロールするのに宗教を使い、宗教にも様々な便宜を図ることで関係性を強固にして、必要であれば教義を書き換えてでも目的を達成させようとしてきました。当然ながら権力者やそれを取り巻く者たちは、その体制に反対する人々を物理的・政治的に抑圧しました。  しかし、どうしてもコントロール下に置けない勢力がありました。それが女性だったのです。まだ母系社会が色濃く残る社会であっても政治的には優位な立場になっていた男性が、すでに社会全体に浸透していた女性の影響力を弱めることが出来ないため、宗教の力を使って存在そのものを低く劣ったものとして定義しました。つまり権力者はそれほど女性の力を恐れました。

中世のヨーロッパを中心に起こった魔女狩りはまさにそれを象徴する出来事であったといえます。人並み外れた霊的能力や知識をもった女性を魔女や悪魔の使いとして仕立て上げ、社会を惑わすものとして民衆の恐怖を煽り、社会的に影響力のある女性を抹殺してきたのです。  ここまで読んだ方は、「では父系社会というのはそんなに悪い仕組みなのか?」と思われるかもしれません。実はそうではなくて、現代社会の中で父系社会を形成する男性性の要素が強くなり過ぎたということです。古代では母系社会と父系社会が共存していた形跡が多くみられており、中には双方が混ざった習慣を持つ民族もあります。

近代では、その男性性の特徴である論理的・競争心・実力主義・結果重視などの傾向が過剰になり、社会の中で常にその条件に合うように生き方を要求されます。更に付け加えると、宗教の普及とともに貨幣経済が強力に広がり、社会を構成する要素として最も大きな影響力を持つことになったため、なおさら男性性を増長させることになりました。戦争や民族的な争いが絶えないことも、男性性の過剰という問題が根底にあるからではないでしょうか。

女性への差別や蔑視や抑圧的な行為は、明らかに男性性過剰の結果であり、逆に言えば女性性の欠如の現れです。これは生物学的な男と女の違いの問題ではありません。どちらにも男性性、女性性の両方が備わっているからです。  長い歴史の様々な場面で女性(性)が犠牲となってきた事実があります。犠牲とは、その犠牲の下に社会が成り立ってきたという意味です。さて、それを犠牲にして得てきたものは何でしょうか。国家の軍事的な強さでしょうか? 経済的な強さでしょうか?  かつて男性性優位と見られる帝国が数多く誕生しましたが、ことごとく衰退・滅亡していきました。その一方で目立たないながらも女性性を大切にする平和な国家も存在していました。歴史の年表にはまったく出てこない史実ですが、帝国の栄枯盛衰を学ぶより、なぜ平和な国が存続していたかを学ぶことに価値があると思います。そうすれば、かつて理想的な母系社会を築いていた日本が、世界に先駆けて出来ることが自ずと見えてくると思います。

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