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2020年10月27日

母権制から父権制への転換で生まれた「囲い込み競争」

女性は新しい命を腹から産み出す力を持っていること。また、たとえ産まなくても月経といういう、規則正しい自然サイクルを体が表現するようにできていること。それゆえ、地上のもろもろをの命を産み出す「大地母神」を崇拝する信仰が歴史のはじめにあったことは、人類の共通項ともいえる。その歴史がどのように変容していったのか?

以下、夏目祭子・著『なぜ、性の真実(セクシャルパワー)は封印され続けるのか』より引用します。

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女神の時代はまた、母権制社会の時代でもあった。母権制というのは、生まれてくる子供を、主に母方の家が管理する仕組み動いていく社会のことだ。これは子育てにには都合がいいし、何か事を決めるのにも女性の意思がよく尊重されていた。ただし、杓子定規に母親方の家系が重視されていたとは限らないので、そこは日本の平安貴族たちの「通い婚」制度とはまた違う。たとえば、縄文時代や古代マヤ文明の社会では、父方でも母方でも、どちらか都合がいいほうに身を寄せるような柔軟な流儀が見て取れ、本質的には「男女が平等」の姿勢であったことがうかがえる。

★それが古代国家の成立の頃に父権制に取って代わったというのは歴史学で言われている事実だが、この大きな変化が、一体私たちの意識にどんな作用をもたらしたのだろうか?

父権制とは、手っ取り早く言えば「囲い込み競争」のことだ。土地や財物と、自分に従う人間たちについて、「俺だけのものだ」と各自が独り占めを主張して、それもできるだけたくさん持っているヤツこそ偉い、という価値の物差し仕切られる。競争の土俵に立つのはもっぱら男の役目で、妻も子供も男が所有物として管理する。

しかも、自然の周期を月経や出産で体感できる女と違って、男の考えて権力というのは、自然のままに生まれたり消えたりするものではなかった。一度ゲットしたら、永遠不変のものとして、この世界に「固定」されること願った。だから大なり小なり権力を得た男たちは、支配を「維持する仕組み」に力を入れた。

そこで古代から中世にかけて固まっていったのが、自己保身の得意な「官僚組織」と、お家安泰の「封建制度」。この法則は、万国共通のものだったといえる。封建制度はとうに崩れさった現代でも、もう一方の「官僚組織」は今なお現在で、「体制の現状維持」にこれ努めていることがわかる。

★ここで肝心なのは、そうした形の変化の裏にある、意識の変化のほうだ。

男の始めた父権制支配の本質を一言でいうと、自然界にあるものを、もっぱら自分の方ばかりに吸い上げようとする心のベクトル(すなわち矢印の向き)だといえる。その上そこに、自分だけで独占したいという、他者と対立するトゲトゲした意識が加わる。そうした見えない矢印が、ひとりひとりから放たれ、飛び交っている場面を想像してほしい。そこから、世のあらゆる仕組みが狂っていったのだ。

この「母権制から父権制へ」という仕組みの変化を、意識の変化を言葉に直せばそれは、「女性原理(女性性がリードする世界)」から「男性原理(男性性がリードする世界)」への転換、ということになる。

女性性のイメージを図柄で表現するなら、生まれて消える命の営みのように、満ちては引いていく海の潮のように、ぐるぐると円を描きながら循環を繰り返す、始めも終わりもない曲線の軌道、といえる。これに対して男性性は、より多く・もっともっと、と飽くなき向上を志向する、右肩あがりの直線の軌道、と言える。
女性性と男性性
こうした世界の主流をなす意識の形が変質したことは、社会の仕組みをもちろん、やがてはセックスの作法にまで、逆転とも言える変質をもたらすことになったのだ。そして男女の婚姻は「与え合う」美しい自然讃美的なものから、「所有する」我欲実現のものへと、その性質が塗り替えられていく。

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2020年10月27日

『元始、女性は実に太陽であった。』この言葉の真意は・・・。

元始、女性は実に太陽であった。』

平塚雷鳥の有名な言葉ですが、この言葉の真意は男女同権を求めるものでも、女性の権利を主張するものでもなかったのです。

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元始、女性は実に太陽であった。』
平塚雷鳥により、1911年に婦人文芸誌「青鞜」創刊の辞に記された有名な文言である。
この一文は、そして平塚雷鳥は近代の女性運動の象徴としてしばしば取り上げられる。

しかし、この初期の女性運動は、男女同権を求めるものでも、女性の権利を主張するものでもなかった。
私権時代に抑圧されてきた女としての役割を、社会においてまっとうに果たしたいという思いが根底にあった。
それは、同じ創刊の辞の後半部に見ることができる。

『 ~前略~ 女子が男子と同等の教育の機会を与えられていない現状は残念ではあるが、致命的ではない。知識は真の智への手段の一つに過ぎない。学者であって真を見ること困難な盲者は、男性にも多い。無暗に男性を羨み、男性に真似て、彼等の歩んだ同じ道を少し遅れて歩もうとする女性を、私は見たくない。
~中略~ 然らば私の希う真の自由とは解放とは何だろう。潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させる事に外ならぬ。 ~後略~ 』

この素直な女の社会的役割欠乏が権利要求運動へと歪曲されていったのは、欧米近代思想(個人主義、女権論~男女同権論etc.)の流入によるところが大きい。
だが、そうした事実根拠の無い権利要求運動が、何をもたらしたかといえば社会の閉塞である。

女性が社会進出を目指したのは、決して男と同じ役割を欲したり、権利を主張する為ではない。ましてや社会閉塞をもたらすためなどではあるはずもない。
男と社会的課題を共有して女の担う役割を果たし、共認充足を得る為であったはずだ。

社会が混沌としている今、女性が『潜める天才』を『偉大なる潜在能力』を十二分に発揮すること、
それこそがみんなが必要としている女性の社会進出。
そして、そんな『太陽』に照らされて、男たちはみんなが求める答えを出すべく闘っていくのだ。

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2020年10月22日

日本人の性意識はどうなっているのか? -3

前回は、「日本に蔓延するセックスへの絶望」という記事を取り上げたが、さらに追い打ちをかけるようにコロナ禍中の今年度の妊娠率の発表が厚生労働省から出た。なんと昨年度に比べ、4月以降の総計で10%ほども激減していることが判明した。この妊娠率は母子手帳を受理するために各自治体に申請された数を集計したものらしいが、ほぼ出生率と相関しているとしてよいだろう。事態の深刻さがわかる。

感染リスクにおびえる心理は否定できないが、年々出生率が低下していることからも原因はもっと深いところにあり、前回指摘したように、主犯が男女同権という勘違いであり、そこから派生した様々な制度や装置に疲れ果てたことも大きい。それを親、学校、メディアなどから浴びせ続けられ、本来の基軸本能である性でさえ発現しなくなった疑いが濃厚である。

今回は、性教育の貧弱な実態を紹介したい。

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2020年10月20日

古代遺跡からわかる人類本来の性

いつか私たちの体と心は、別物のように切り離されてしまったのだろうか?男と女んの間でも、「体だけの関係」「体だけ貸している」といった言葉が、いつしか風俗の商売用語としてではなく、日常用語として当たり前のものになってきている。
『なぜ、性の真実《セクシャルパワー》は封印され続けるのか』著者の夏目祭子氏は、現代人の性は歪められれていると論じているます。
以下、同著から引用します。

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歪められる以前の人間本来の性のあり方、(それは、人間の営みが一律・機械的な制度に統制されるのではなく、自然の愛情交流から生まれた共同体によって機能していた頃のこと)日本で言えば縄文時代、海外ならさまざまな戒律の厳しい宗教によって、人々の心と生活が規制される以前の神話にぼかされた時代にまで遡らなければ見えてこないだろう。その頃の世界の共通項は、「性」が「聖」なるものであったということだ。

そして、本来の「聖なるもの」といういうのは、「今ここに生命をいただいているということを、高らかに謳歌する」といった感覚なのだ。男女がセックスをしている時には、自分と相手の命と肉体がここにあることを、さらに二人がこの交わりの場を許されていることを、それらすべてに対する感謝と賛美の思いを、全身から溢れるように発散し、周囲へ放射しながらするものだったろう。

当時の人々にとってセックスは、「大いなる自然現象」の仲間だった。それは、日本はもちろん、世界中の古代遺跡から、女陰は男根の形をした大小様々な塑像や彫刻があれやこれらと出てくるものを見ればわかる。おそらく当時の人々は、互いの性器を、ありがたい自然の延長として取り扱っていたのではないかと思われる。何しろ、女陰や男根の造形は、ある時は大スケールで神域に祀って拝み、またあるときは小型の護符として家内で愛用する「御神体」の扱いだったのだ。

多神教の時代の神々とは、目に見えないが世界の空間に満ち満ちているエネルギーのうち、一定の性質と志向性をもって力を現すものに対して、人格を付与して敬っている。そして、神々のセックスが象徴していたのは、世界を構成する二大要素である「女性エネルギー」と「男性エネルギー」との結合であった。つまり、女性エネルギーの塊である女神と、男性エネルギーの塊である男神とが交わることで、世界にさまざまな事物が現象化したのだと言える。

そしてこの二つのエネルギーは、人間の男女のどちらの体内にも内蔵されている。これは、ヨガや気孔をはじめ、多くの体内エネルギーの鍛錬法が伝えるところでもある。ならば、人間同士のセックスも、互いの持つ女性エネルギー、男性エネルギーの二重の融合によって、あたかも神々が野山を産むように、新しい「命の素」を世界に産み出すものと言えるはずだ。

当時の人々は、その感覚を誇らかに楽しんだのだろう。それは、時には神秘な巡り合わせで子供を産むときもあるが、まずはじめに、ただお互いの生命力を新しくするのに役立つことであったのだ。

「聖なる性」の時代はまた、女が女神でいられた時代でもあった。新しい命を腹から産み出す力を持っていること。また、たとえ産まなくても月経という規則正しい自然サイクルを体が表現するようにできていること、つまり、女性は自然の体現者だった。だからそうではないない男性たちは、女性の力を頼りにした。自分と世界とを結びつけてくれる、その力を。

太古の文明の名残を示す、世界各地の巨石遺跡には、春分・秋分や夏至・冬至という太陽の公転周期の節日にだけ、太陽の光が正確に小さな穴を貫き通すといった仕掛けに造られているものが多い。この事実から、大古の文明では、天体観測や暦に関する知恵がかなり重視されていたことがうかがえる。なぜなら、天体の規則正しい運行と、人の体の生理的な周期が相関関係にあることを、当時の人々は心得ていたからだ。実際、古代の共同体社会では、そこに暮らす女性たちは、満月の日にほぼ一斉に月経が始まったという記録もある。

当時の人たちは、空でも大地でも、自然が人間のコントロールを超えて動くものだという事実に逆らず、自然自身が持っている「意思」を感じ取りながらいきていたのだろう。それをさまざまな「神」として聖別したのだ。

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2020年10月16日

日本人の性意識はどうなっているのか? -2

前回は、日本人の性意識がどうなっているのか、その調査事例を紹介した。すべての活力に比例するかのように性意識の衰弱が見て取れた。しかし、かつてのイメージの延長では性行為に至らないだけであり、本来的な親和充足と和合意識の芽生えも、小学生の調査事例からうかがえた。もはやロマンチック(恋愛)というのは憧れでもなんでもないことがばれてしまったようだ。

今回は、かつての性意識がどん底に落ちた分析を湯山玲子氏、二村ヒトシ氏が対談されているので紹介したい。

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2020年10月16日

子孫を残す為だけではない。人類にとっての性とは何か

「セックスレス」

現在はもうこの言葉が当たり前に思うほど、性が衰弱しています。

セックスは面倒だ。厄介だ。先日の実現塾では、小中学生にいたっては、キモイ、汚いものという言葉まで・・・。セックスに限らず、男に対して女に対して抱く意識も同じです。

 

現在の小学校では、性教育を殆どやっていないようですね。4年に1回というところもあるようで、教える時間の少なさもありますが、内容も酷いものです。性病や性犯罪、避妊など、マイナス面の性教育に偏っており、セックスとは危ないモノ、汚いモノという意識が子ども達に浸透しています。性とは人類にとって充足源であり活力源で、素晴らしいものですが、そういったプラスの話は一切教えられないようです。

 

日本人の性意識はどうなっているのか? -1

日本のセックスレス急増は、次代の男女関係に向けた前兆ではないか!?

でも述べましたが、現在では日本人のセックスレスは30代で5割以上、40代で6割以上、50代で7割以上、60代で9割以上とさらに増加。「セックスはいらないけど、子どもは欲しい」と人工授精に頼る女性まで出てきているようで、生命原理からどんどん逸脱してきています。このままでは間違いなく人類は絶滅してしまいます。何故、ここまでに性のエネルギーが衰弱してきたのか。それを明らかにする前に、今回はそもそも人類にとって性は何故重要なのかを記事にしたいと思います。

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2020年10月15日

日本人の性意識はどうなっているのか? -1

性に関して無関心な若者が増えているという。さらに嫌悪感まで抱くものまで。原因は親世代からの刷り込みやメディアの倒錯した性イメージ、そしてそもそも性に対するまともな教えを受けていない。性病や性犯罪などの負の事象だけが強調されていることも問題である。

ここでは、実際若者の性意識がどうなっているのかを調査した資料を紹介しながら、実態を探っていきたい。注意しなければならないのは、世代により性イメージが極端に変化しているので、調査した設問の意図と回答者の意識がすり合っているのかという点である。例えば、性関係、恋愛感情、結婚意識は一昔前では一連のつながりとしてとらえられていたが、今やそれらの意識そのものが衰弱しているとともに、それぞれの関係も分断しているのではないかというぐらい変化していることが垣間見える。

以下、調査事例を紹介したい。

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2020年10月13日

「祭り」と「性」の関係

 

コロナ禍のため今年は各地でお祭りが中止となっているようで、残念です。
そのお祭りについて調べていくと、日本では「性」と密接な繋がりがあることが分かりました。
その性充足が人々の活力の源となり、集団の統合を担っていたようです。

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■日本のお祭りの本来の目的は「神様に感謝する」こと。
「祭り」の語源も「祀る(まつる)」です。
神を慰め、祈願すること。神道または仏教に由来しています。
また、日本人のお祭りに対する思いを理解する上で重要なのが、「ハレ」と「ケ」の概念。
「ハレ」とは「非日常」、「ケ」は「日常」。
祭りは「ハレ」であり、華やかに執り行うことで「ケ」をリセットする意味がある。
そして、「祭り」を調べる中で「性」と密接な繋がりがあることが分かりました。

■祭りのルーツは、歌垣(カガイ)。
・古代日本におけるカガイは、特定の日時(春夏2回)と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事。
・究極には集団による子造りの神事。
・互いに求愛歌を掛け合いながら、対になるとされる。
・カガイでは、普通に想いを吐露して相手の気を引くだけでなく、相手を揶揄したり、さまざまな駆け引きや冗談が飛び交った。
・しかも未婚の若い人たちだけでなく、(子供がほしい)人妻や(盛りをのがした)大人らも参加したようすがみえる。
・古代における閉鎖的な集落では、血縁関係が濃くなり勝ちなので、不特定の多数と交わった。他部族との争いをなくす知恵でもあった。

◆日本の各地で古代に行われたカガイは、地名からも類推できます。
※カガイの場所は神に選ばれた聖地であったので、どこでも神を寿(ホ)ぐ言葉がつけられており、同じような地名になる。
・唐津(佐賀)の鏡山(ヒレフリ山)や滋賀の逢坂も、神が宿る聖地であった可能性。
・神が寄るという道股(チマタ)、辻、市(イチ)のあった場所、奈良の海石榴市(ツバイチ)や大阪河内の恵我(エガ)市など。
・カガイは、中国から伝わったという踏歌(アラレハシリ)という行事にも関係しており、枕詞のアラレフルに続く佐賀の杵島(キシマ)や茨城の鹿島(カシマ)も。
・開催場所は、山頂、海浜、川、そして市などの境界性を帯びた地が多い。常陸筑波山、同童子女松原(オトメマツバラ)、肥前杵島岳、摂津歌垣山、大和海石榴市、同軽(カル)市などの例もあり。
・浜辺(ウナイの松原)や水辺にもカガイが行われたらしい場所が。
・山遊びや野遊びという「遊び」というコトバも、カガイに繋がる説あり・・・・

◆童謡にも歌垣の名残が・・・ 隣国中国では現在でも・・・・
・童謡の「カゴメカゴメ」「はないちもんめ」も、歌垣のあり様を伝承されたという説あり。 ※男女の戯れや取り合いを表現したとも
・現在も雲南省のペー族、チンポー族、イ族、貴州省のミャオ族(花山節)、広西チワン族自治区のチワン族などで祭事として盛んに行われている。

■歌垣の変遷
・庶民の間には「歌垣」をとおして、男女の交わりの動きが活発になる。
・水辺や山に食べ物などを持ち寄って騒ぐ小規模な歌垣や村を挙げての大人数の歌垣も催される。性に対して男女の交わりはエネルギーの発散と見えない神への願い。
・庶民は祭りの他に春や秋の忙繁期の合間に豊作祈願を込めて「歌垣」を開催。最後は見知らぬ相手と性交する寄合の一つとなる。
・不妊に悩む女性でも、暗闇に塗(まみ)れて密かに子を授かりに行った現実は否定出来ない。当時は妊娠について例え男性側に不妊の原因が在っても、女性が「産まず女」と責められる時代。
・その救済処置として、「神の子を授かる」と言う暗黙の了解が風習(歌垣という祭りの場)として成立。
・なので、見ず知らずの性交相手は顔も判らぬ暗闇の中で行うのが良しとされ、夫人や娘はどの男性の種でも受け入れた。
・このように庶民における性は実におおらかで開放的だった。人間は誰にでも性欲が有り、性交の快感は神から与えられた恵みであると思っていた。
・更に、食欲や排泄と同じように命を繋ぐ男女の交わりを「ふしだらなもの」ではなく「自然なもの=神から与えられた子孫へつなぐ恵」と捉えていた。
・元々「生み出す」という行為は神のなせる業で、それを願う行為が「お祭り」として神を崇め、豊作祈願や子宝祈願に結びつき、何かあれば皆で集まって神社で楽しんだ。
・男根をご神体にした祭りは現在でも残っていて、当時はもっと盛んに行われていた。

■伝統ある五奇祭
『八雲御抄』は順徳天皇の著書で、鎌倉時代の1200年頃に成立したものだが、そこに「天下の五奇祭」として挙げられた祭りは、いずれも平安時代に生まれた新しい性の奇祭であった。
五奇祭とは「江州筑摩社の鍋被り祭り、越中鵜坂社の尻叩き祭り、常陸鹿島神宮の常陸帯、京都・大原の江文社の雑魚寝、そして奥州の錦木」の5つを指す。

☆江州筑摩社の鍋被り祭り( 現滋賀縣米原市 )
桓武天皇の時代(8世紀)以来1200年の伝統がある。神前に供物とともに近江鍋と呼ばれる土鍋を贖物したことから、このような祭が生まれたと考えられている。
鍋冠りの女性はそれまでに経験した男の数だけの鍋を冠るという不文律があり、朝廷の役所が置かれていた近江で、たくさんの男性とセックスするのは女性の名誉という認識。

☆越中鵜坂社の尻叩き祭り( 現富山市)
平安時代から江戸時代までは、楉祭という特殊神事が行われていた。別名を「尻打祭」といい、貞操を戒めるために祭りの夜に榊で女性の尻を打つ祭であった。
多くの男性と関係を持つことは、女性にとっての誇りだったようです。また、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという公家の遊びが伝わったものである。「日本五大奇祭」の一つとして日本全国にその名が知られ、松尾芭蕉や宝井其角もこの神事を詠んでいる。

☆常陸鹿島神宮の常陸帯祭り(現鹿島神宮)
常陸国鹿島神宮の祭礼で古く行われていた結婚を占う神事。意中の人の名を帯に書いて神前に供え、神官がそれを結び合わせて占ったとするほか諸説ある期日も古くは正月十一日、江戸時代では十四日などさまざま。

☆京都・大原の江文社の雑魚寝( 現京都大原)
かつて江文神社には節分の夜に雑魚寝する習慣があって大原雑魚寝と呼ばれていた。
むかし井出(かつて江文神社のあたりの地名を井出といった)の大淵に大蛇があらわれて人を食べるので、村中の男女は節分の日に江文神社の拝殿に雑魚寝したといわれている。
そして、この夜にどのような情事があっても見逃したということだったそう。関係した男の数だけ女の足首に紐を結びつける風習が有った。

☆奥州の錦木( 現岩手県奥州市)
昔の奥州の風習で、男が女に逢おうとする場合に、五色に彩った30㎝ばかりの木片を女の家の門に立てて、女に応ずる 心があればそれを取り入れ、取り入れなければ男がさらに加え立てて千束を限りとする と云う。

■まとめ
そもそも日本では、男と女の関係は、自然や社会としっかり繋がっており、神聖なものとして人には認識されていた。
祭りや、踊りを通し「ハレ」の舞台の中で、男女の関係は、光り輝いてきたし、これは、ある意味先人たちの知恵ともいえる。
そして、お互いに充足した生き方=「目合ひ」を集団の中で持続可能性のある行為として営んできたのである。
いまだに日本にはその祭り(DNA)が残存していることからも明らかでしょう・・・・
そのたたづまいは、近代観念によってつくられた「恋愛」をベースに密室の中で培われる男女関係とは一線を画す。
今のままの男と女の関係は、自然の摂理に背を向け、このままでは、滅びていく。
これからの男と女の関係を、永遠に(持続可能な)光り輝く存在として、どうしていくか?
まさに、我々人類が生き延びていく岐路に、今、立っていると言えるのではないか?。

男は、男らしく。女は女らしく、自然体で生きていける世界。
これからの男女のあり様の照準はそこにある。

 

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2020年10月09日

学校が無くならないのは何故か

 

 

前回は、「学校は百害あって一利なし」を記事にしました。

そう言い切る理由は、

1 小学校で習う漢字や加減乗除を除けば、学校で教える中身が全く役に立たない

2 子どもの成長に最も重要な遊びが、勉強ばかりの学校によって失われている

3 学校制度が始まってから、言語能力、追求力、活力はどん底にまで落ちた歴史総括

があることを前回記事にしました。

http://bbs.jinruisi.net/blog/2020/09/5071.html

 

その学校が無くならないのは何故か、が今回のテーマです。

 

現在の学校制度は明治政府により作られましたが、その理由は徴兵制の一貫として作られ軍隊をモデルにしています。つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っており、その強制圧力のもと従順な国民を育てることを目的としています。

 

「そもそも学校に行く必要はあるのか?」「何で学校は無くならないのか?」

 

誰もそんな疑問を持たない今の現実こそ、考えない国民を育てるということを証明しているでしょう。学校を無くせない理由に、そんなお上の理屈があるというのは一つあります。しかし、お上の理屈だけで学校は残り続けているのでしょうか。大衆の側にも学校を必要とする理由はないのでしょうか。

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2020年10月07日

日本のセックスレス急増は、次代の男女関係に向けた前兆ではないか!?

一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事・夏目祭子氏は、日本のセックスレス急増は、逆に明るい未来の前ぶれなのではないかと主張されています。いか、著書『あなたが目覚める愛と性のギフト~至福の男女関係をつくる』から引用します。

* * * * * * * * * * * * * * * * *
2000年以降の20年間で、セックスレス夫婦の割合が驚くほど急上昇している。2010~17年にかけてのさまざまの調査結果(日本家族計画協会ほか)を見ると、その比率は、なんと2組に1組程度まで増加しています。
たとえまだ若くて肉体的には問題なくても、たとえ性欲自体は持っていても、たとえ相手に愛情をもっていても。それでも、行為そものは「やりたくない」と避ける人たちが、男女ともに、幅広い世代で増え続けているのです。私がこれまで相談を受けてきた人たちの実態と、世の中の情報を照らし合わせていくと、男女それぞれ二つの代表的な理由に集約されることが見えてきました。

まず、男性の理由の第一「疲れるから」。言葉は違いますが「面倒だから」というのも、ここに含まれます。
だけど、「セックス=疲れるもの」という現代の感覚は、実は大きな誤解なのです。本来、男女の性行為は「疲れが癒されるもの」で、「生命力が再生されて、元気が出るもの」というのが当たり前だったのだから。これはつまり、世の中で常識とされるセックスの「方法そのものが間違っている」ことを意味しています。

男性の第二の隠れた理由「イヤらしい気分になれないから」。
これは、現代の男性が、AVを「性の教科書」として学習してきたことから生まれた大きな弊害です。つまり、AVのようにイヤらしく興奮した気分にならないと、セックスができないように「脳の回路ができてしまっている。」のだと、ある40代の男性が証言してくれました。

一方、女性の理由の第一「肉体的に苦痛だから」。
これは、多くの女性が行為の最中に「痛み」を経験していることがあるのです。女たちが苦痛を感じるのは、世の多くの男性が、女性の体の適切な扱い方を知らないことが原因です。つまり、セックスの「方法が間違っているから」。なにしろ、男たちがお手本にしてきたAVは、そもそも「男性が一人で、すみやかに効率よく射精を行うため」に構成された「ファンタジー(仮想の物語)」なのだから。

女性がセックスをしたくない第二の理由は何かといえば「精神的に苦痛だから」。
個人的な問題でいえば、これまでの人生で経験した、さまざまな形の「性暴力」が、個々の傷として残っている場合が少なくありません。また、そうした暴力を受けた経験がない場合でも、なぜかパートナーとセックスをすると「相手に奪われている感じ」や「体を利用されている感じ」がして、あまり嬉しくない、という声も聞きます。
こうなると、世界が数千年前に「男尊女卑の思想」に染められて以来、女性の体が「跡継ぎを産むための道具」、または「男性の性欲を解消するための道具」であるかのように扱われてきた時代の悲痛な感情が、私たちの集合意識の中にも積もっていることも影響しているに違いありません。
だからこそ今、私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要があるのです。

さて、男女間のセックスレス問題は欧米にも存在します。けれども、これほど急増しているのは日本だけの現象だと、世界からも不思議がられています。「だから少子化が進むのだ」と将来を憂う人たちは多いでしょうけれど、実はこの現象に、逆に「明るい未来」を感じていると言ったら驚くでしょうか。
なぜならこれは、多くの日本人が、これまで常識とされてきた、でも実は「本来の自然な性よりも暴力的に歪められたセックスのイメージや方法」に、無意識のうちにも違和感を覚え、体で拒否し始めたということだから。それなら、歪められる以前の、人間が本来持つ能力を十分に活かした、豊かな性の味わい方を知ることができれば、新しい形での男女の「セクシャルなコミュニケーション習慣」が活発になっていくのではないかと予想しています。

つまり、今のセックレスの急増現象は、いったん古い形のセックスを手放して、日本のセクシャル・コミュニケーション能力が進化する前ぶれとも読めるのです。

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