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2020年07月03日

【世界の各部族の婚姻形態シリーズ】交叉婚から妻問婚に移行した部族

妻問婚とは夫が妻の下に通う婚姻の形態。
女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られ、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続するが、部族にそれを踏襲しながらも少しずつ形態をかえているようです。
リンクより

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■サモア諸島:ポリネシア

男は16歳頃から共同作業に従事する青年集団に所属。女も思春期に達すると女性だけの集団に属し、結婚の資格を得る。結婚前の男女は、男の夜這いによって何人もの異性を経験。部落の長老を通じてなされる結婚の申し込みが受けられると、男はそのまま娘の家に住み込み、子供が生まれた後に妻子を連れて自分の家に戻る。結婚後も互いの不貞についてはさほど厳しく問われない。
※タヒチ島・トロブリアンド島と同様の経過をたどって、財産継承から人工的婚姻制度の導入に至る。
サモア諸島の場合、人口増大に伴う同類闘争と採取技能の上昇で、男の主導権と私有権が回復していったため、父系制の妻問婚へ移行した。しかし人工的制度の故に、交叉婚の風習が温存されている。

■バリ島原住民:インドネシア

自由結婚、親が決める結婚、掠奪婚など部落、階級によって習俗は様々。貴族は処女性を重んじるが、一般人は婚前交渉に対して寛容で、試験結婚としての同棲も多く見られる。婚姻形態は一夫多妻制(ヒンズー教徒)。妻は夫の家に住み、第二夫人以下を家に入れるには第一夫人の許可が必要。
また夫は妻に対して貞節を尽くす必要はないが、妻には厳格な貞淑さが要求される。
※私有権の増大+農耕の導入に伴い、単位集団が氏族から家族単位にまで分解される。それにより、氏族を基準とする交叉婚の継続が不可能となる。他方、私有意識の増大と性的商品価値の上昇は、婚資=結納を上昇、発達させる。そこで、婚姻基準がこれまでの氏族から婚資に転換し、婚資を支払いさえすれば婚姻は成立するものとして、一夫多妻制へ移行。
特に私有意識が高く、財産継承権を明確にする必要のある貴族においては、処女性が重視された。
(貴族の女の方も、婚資=性的商品価値を釣り上げるために処女性を守った。)
しかし、庶民については、婚資を充分に払えなかったことからも、交叉婚の名残が強く、婚前交渉に対しても寛容であった。
交叉婚においては夜這い(男たちが娘たちのもとへ通う)が普通であり、従って妻問婚に移行しやすいという因果がある。

∴私有意識△+農耕を媒介に、交叉婚から半集団婚を経ずに妻問婚へ至った部族と思われる。

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2020年07月03日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-5

前回は、さまざまな課題を自主自立して担える共同体化を進める中でしか、新たな婚姻規範、婚姻制度は出来ず、恋愛ではなく仲間発を原点とした意識を原点に社会的行為としての婚姻が成立する可能性を提示した。

逆に共同体を創っていく中で、皆(相手)第一という共同体の不文律の規範と現代の集団から隔絶した婚姻制度(両性の合意のみによる結婚)があまりにもかけ離れており、大きな課題として必ず顕在化する。

その意識として「所有」→「共有」という概念の変化をどう具体化するかにかかっている。

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2020年06月25日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-4

前回、婚姻は極めて社会的な行為でありかつ機能であり、個人発、自我発の性が衰弱している今、社会的、共同体的な性の再生が求められると結んだ。

コロナ禍以降、結婚に対する意識も変化しており、不安解消からお互い充足しあえる関係を望むような結婚に期待することが高くなっているそうだ。その意味ではすでに恋愛感情抜きで結婚する意識に転化しているともいえる。

現代の個人発、自我発の恋愛結婚という固定的な価値観を突き抜けた意識も芽生えているが、共同体という母体がない以上、定着していかない。つまり、さまざまな課題を自主自立して担える共同体化を進める中でしか、新たな婚姻規範、婚姻制度は出来ていかないと推察される。

このブログでも過去の記事を紐解いてみると、歴史的にどの地域でも共同体が残存していれば、婚姻以は共同体が主導していることが見て取れる。共同体の存続(生存)こそが絶対的な課題であるから、婚姻制度はとくに慎重に練り上げた課題であったと思われる。共同体を破壊する価値としての”自我”を発生させず、活力を維持することがなにより重要であった。

そうすると、活力を再生するにはどうする?いう視点で婚姻も捉えていけば可能性が見えてくる。そこは、次の世代に期待することになりそうだ。

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2020年06月19日

【世界の各部族の婚姻形態シリーズ】交叉婚から半集団婚に至った部族

交叉婚、変型交叉婚に続き、今回は「交叉婚から半集団婚に至った部族」を紹介します。
歴史上様々な婚姻様式があることが分かりますが、婚姻様式を探ることは、その集団や社会のおかれた外圧状況を探ることに等しく、同時に集団の規範や役割と言った共認内容を知ることに繋がります。
リンクより

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■古代ブリテン人
シーザーの記録によると、10~12 人の兄弟又は親子関係にある男たちが、妻を共有しているとある。
※兄弟(父も)が一体の典型的な半集団婚。

■後のハワイ
妻たちが直系及び傍系の姉妹である場合、その夫たちは互いに“プナルア”(親しき伴侶の意)と呼び合い、共同的に雑婚するが、その夫たちは兄弟ではない。夫たちが直系及び傍系の兄弟である場合、その妻たちは互いにプナルアと呼び合うが、彼女たちは姉妹ではない。
※これらは半集団婚、即ち、兄弟-姉妹の集団婚から兄弟又は姉妹のいずれかが解体されてゆく過程を示しているが、1つの時代に2つの形態(兄弟解体のケースと姉妹解体のケースの両方)があるという記述は、観察自体に疑問があり、一般的には、兄弟たちが1人の娘のもとに通うという形態が主流となるはずである。しかし、そこからかなり時代が進み、私有権が男に移行したとすると、男の要求も通るので、一時的に1人の男が姉妹たちを買い取る制度もあり得ただろう。

■ジュアング族:インド
オリッサ州の密林に住む極めて原始的な種族。婚前交渉は自由で、何人妻を持ってもよい。未亡人は夫の弟と結婚しなければならず、義弟以外の男と結婚する場合は、夫の死から一年後でなければならないとされている。
※兄弟を一体とする半集団婚。

■トダ族:インド
ニールギリ山地で農耕を営む一妻多夫で有名な種族。長男と結婚すると、自動的にその弟たちも夫となる。また部落を異にした男たちと結婚すると、一ヵ月間隔で夫のもとを巡回する。近年は女性の数も増え、一夫多妻に移行しつつある。

■レプチャ族:インド
母系制をとっており、現在は一対婚だが、かつては妻の妹との性交渉を認めるといった形での一夫多妻を加味した一妻多夫制が行われていた。
※元は少妻他兄弟の半集団婚。

■オラオン族(=チヨタ・ナグプール高原のドラヴィダ族):南インド
若い男女は部落内の独身者合宿所で自由奔放にセックスを楽しむが、結婚は族外婚が原則で、両親が異なる部落の相手を決める。結婚式では、花婿の兄弟が義姉妹に手を出さないという誓いがなされ、かつて存在した多夫婚をいましめるためと考えられている。
※花婿の兄弟は花嫁は共有しても、義姉妹には手を出してはならないということから、女一人・男兄弟共同の半集団婚と思われる。若者宿の存在、婚前乱交の自由から、半集団婚よりも交叉婚に誓いとも言えるが、果たして半集団婚と婚前乱交とは矛盾するか?それ以前の集団婚は、もともと乱交の流れを汲むものであり、従って処女性を重視するような考えは生まれない。半集団婚でも、バアサマが娘の値段を釣り上げるために娘を禁欲させ、処女性を売り物にしたかどうかが問題となるが、おそらくこの段階では、禁欲させなくても買い手は充分あり、婚前のフリーセックスを許容したと考えられる。つまり、半集団婚においても婚前乱交は矛盾しない。従ってオラオン族は半集団婚の事例である。

■ホッテントット:南西アフリカ
(1652 年植民地開拓にやって来たオランダ人が発見。1884 年のドイツによる南西アフリカ支配以降急速に衰退。)
・生活形態-狩猟・放牧。人種的にはブッシュマンと酷似しており、彼らと区別するために自らを“コーイ
・コーイン”(人間の中の人間)と呼ぶ。ブッシュマンをカラハリ砂漠に追いやって、南アフリカ全域を生活圏としていたが、好戦的な農耕民族に追われて、現在はカラハリほどではないものの、激しい乾期と束の間の雨季がある南西部の内陸地帯に住む。男は狩猟のほかに石・鉄・銅などを用いた武器や道具作り、衣類等にする皮なめし作業を行い、女は乳しぼり、放牧と植物採集を行う。
日頃の食事は狩猟の獲物と植物。
・集団-酋長が率いる氏族集団だが、その権限は絶対ではなく、成人男子による会議が族内の決定機関となっている。他の氏族にまたがる重要問題は、各酋長が集まった種族会議で決裁される。牛の掠奪、女の誘拐、他の種族による領土侵犯によってたびたび引き起こされる戦争では、勝者は牛や女・子供を奪い奴隷とするが、虐待することはなく、残虐行為も稀。(訴訟、裁判、損害賠償の請求もなされ、かなり私有意識が強い。)
・男女関係-兄弟と姉妹間の血縁関係に厳しく、幼年期を過ぎると直接話すことも二人きりで小舎にいることも許されない。最悪の罵言は、姉妹との醜行を暗示する言葉。男は姉妹に対して敬意を払い、“神にかけて誓う”かわりに姉妹にかけて誓う。また遠い氏族あるいは同族の男子は、“義兄弟”の縁を結ぶことがあり(契りの儀式では、一頭の羊を屠って同じ器で血をすすり、肉を食べる)、互いの財産と妻に対して共同の権利、保護・防衛の義務を負った義兄弟は、往々にして妻の共有を楽しむ。(婚姻関係は不明。おそらく一対婚。)
・子供-氏族の勢力拡大のため、多産や男子の出生が歓迎される。妊婦は大切にされ、夫は毎日妻の腹をなでて無事な出産を願い、妻の気まぐれな食物の要求を満たしてやることをいとわない。
※氏族の勢力拡大志向、高い私有意識、夫の妊婦への対応等から半集団婚の風習が見て取れるが、多産・男子出生が歓迎されていることから、一旦は堕落して乱交→半集団婚まで至り、そこで同類闘争圧力の上昇を受けて再び男の主導権が強化され、半集団婚の風習はそのまま温存されたとすれば、つじつまが合う。義兄弟は妻の共有を楽しむ=各々に妻がいるということであり、現在は短偶婚~一対婚に近いのだろう。特に激しい闘争から戦士を失う経験をしており、そこから子宝の概念が形成されるに至った。
姉妹への禁忌意識は、兄妹婚時代の敗北体験によるもので、兄妹婚のタブーが守られているかどうか(審判)は姉妹に聞くことで確かめられることから、“姉妹にかけて誓う”という発想に結び付いたと思われる。

■ブッシュマン:南西アフリカカラハリ砂漠
(1956 年に文明人として初めて接触、生活を共にしたフィリップ・トービアルス博士(アメリカ人の記録。)
・生活形態-厳しい乾期が続くアフリカ南西部高原砂漠地帯カラハリで狩猟・採集。朝食後男は二人一組で猟に出かけ、女は子供を背袋に入れて採集。その日分の食糧を得れば戻ってくるが、食生活は女の採集によって支えられることが多い。(家畜は飼っていない。)
・集団-酋長・族長はもたず、2~3の家族が共同。呪術によって精神と行動を統一させている。(呪術師が指導者?)生活圏外の集団とは没交渉で、争いを避け、相互に縄張りを尊重。
・男女関係-原則一対婚で一夫多妻併存。男が夜、娘の小屋に自分の弓矢を差し入れるのが求婚の印で、女がそれを一晩中小屋の中に置けば婚約成立。結婚後は、子供ができるまで女の部落にとどまり、女の家族を扶養。第一子をもうけた後、妻子を連れて自分の部落に戻って生活する。
・子供-養えるのは3人が限度として、それ以上は出産後すぐに葬られる。乳児と母親は分離する風習があり、乳母が見つからず餓死することも多い。
※もともとホッテントットと同根だが、交叉婚の段階で分裂し砂漠へ敗走。あまりに荒地であるため、他部族も襲って来ない(同類闘争がない)上に、猛獣のような外敵闘争もない環境で、無圧力から闘争機能・集団機能が衰弱。無抵抗主義から、滅亡→敗走時、男が殺され、女が中心になって再建した部族とも考えられる。

■ウラブンナ族:オーストラリア
婚姻が許されるのは、男にとって、母の兄の子供、または父の姉の子供の関係にある女のみ。1~2人の従姉妹と一緒に暮らすが、その他にも若干の従姉妹を(彼女の兄の同意及び長老の裁可を受けて)妻にすることができる。女は多数の男と集団婚的関係を持つことができ、その男たちは一緒に集団生活を行っているが、その女に接近するには、第一の男の同意を必要とする。(第一の男が留守の場合には、自由に振舞える。)また多くの妻を持つ老人は、1人の妻も持てない若者に妻を貸すかわりに、贈り物を受け取って利益を得ている。
※交叉イトコ婚から半集団婚に移行しているが、極限時代に形成されたであろう集中婚(老若交代型)の風習も温存させている。集団婚的関係の方が古くから存在し、“第一の男”という記述にあるような個人的婚姻関係は最も新しい(遅れて形成された)ものである。

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2020年06月18日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-3

前回は、社会的に人と人とのつながりの兆しが緩いながらも出てきた状況が、人類の本質は共同性にあるということに照らしてみてまだまだ進化していく可能性を持っていることを示した。

一方で、現代の先進国においてはセックスレスが普通になりつつあり、貧困をバネに独占欲を起点とした恋愛感情はもはや生起しない社会状況である。これまでの結婚や恋愛観の延長では捉えきれない深い構造的な変化が起きている。特に日本において深刻な状況となっているが、老若問わず無表情あるいは表層的な対応に終始し、感情や本能を封鎖する傾向が高くなっている。これは乳児期の母子親和関係の欠陥や歪んだ仲間関係=いじめからの対人不信や迎合などが要因と想定される。

分断された機能や場を融合していく流れにおいて、共同体的な生産ネットワークで構成する社会はイメージしやすいが、人類的にはより根源的な婚姻=生殖という領域が、生産と融合し共同体として自立してなければ持続できない。今回はいよいよ婚姻について探っていきたい。

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2020年06月11日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-2

前回の記事では社会的に分断している「場」が融合されていく兆しを身近なカフェの事例を通じて探った。そこに可能性を感じるひとびとにとって、人との新たなつながり=よりどころとしての共同体を模索しているが、現状ではまだゆるくつながることがトレンドとなっていることを紹介した。

今回は、極限的な状況を克服して進化してきた本来的な人類の持っている活力と比べて、現代の状況がどういう位相にあるのか、これからの難局を乗り越えるための構造をとらえていきたい。

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2020年06月09日

言語の進化過程(6) ~同類闘争以降、人称代名詞が分化した~

中学生になって初めて英語を習ったとき、なんで名詞の名詞の前に冠詞(the,a,an)が付くのか? なんで三単現にSを付けるのか? そもそもなんで三人称とか、単数・複数を区別する必要があるのか?? 日本人なら誰もが戸惑ったのではないでしょうか。

るいネットの記事から、言語の進化過程を探っていきます。(リンク)(リンク

◆更に詳しく伝える必要から文言が長く複雑になり、各語の関係を示す関係詞が生み出された

より詳しく、あるいはより正確に伝える必要から、文言が長く複雑になると、語順だけでは意味が伝わり難くなる。実際、4語以上の文言になると、語順規則だけでは、文言を構成できなくなる。そこで文言の中の動容詞に対する各品詞の関係(役割or位相)を明示するために生み出されたのが、各品詞の後ろor前につけられる関係詞である。

/関詞(助詞)  て、に、を、は、が、の    アルタイ語
関係詞-冠関詞(冠詞) eim、eines、einem、einen  セム語、独語
le、la、les (the)      仏語(英語)
\前関詞(前置詞)

アイヌ語がそうであるように、1万年前頃に、ようやくS・O・Vの語順規則が出来たとすれば(しかも、アイヌ語は「て・に・を・は」無しで長大な伝承物語を伝えている点から考えても)、関詞(て・に・を・は)が出来たのは、同類闘争の緊張圧力が上昇して以降、おそらく6000年前頃だと考えられる。

アルタイ語(日本語も)では、わずか数個の関詞が全ゆる品詞の後ろについてその品詞の役割を明示できるので、論理性の高い表現から情感性の高い表現まで多彩な表現が可能である。

しかし、セム語や印欧語のように、人称や単数・複数による語尾変化を重視する言語では、品詞の後ろにつく関詞は居場所を失い、代わって各語の前に冠関詞や前関詞を置くようになる。しかし、冠関詞や前関詞は、言葉の数が限られているので、これらの言語は多様なor微妙な表現には適していない言語だとも言える。
セム語や印欧語が登場するのは、もっと後(侵略戦争以降)であるが、日本人がそれらの言語を習得する上で心得ておくべきは、冠関詞(冠詞)も前関詞(前置詞)も基本的には関係詞であり、日本語における関詞(て、に、を、は)の代用物であるという点である。

◆同類闘争以降、人称代名詞が分化した

「みんな」という人称代名詞は、洞窟時代からあったが、そこでは相手も自分も区別なく全て「みんな」という言葉が使われていた。(関西では、今でも相手のことを「我(われ)」とか「自分」と云う。)
その後、自分たち以外の他者が現れ、同類闘争の緊張圧力が高まると、自他を区別する必要が高まる。その結果、それまではあまり使われず、使われても相手(「皆」「お前」)>第三者(「彼」)>自分という使用頻度であった人称代名詞が明確に分化されてゆく。
中でも、守護神信仰等に見られる自己正当化(自部族の正当化)の必要が強かったセム族や印欧語族では、自分を指す一人称が発音し易い言葉に作り変えられて第一義的な重要性を与えられることになった。

また、侵略戦争以降はとりわけ外交(友好)が重要になり、相手に対する配慮が大切になる。そこで、名前の前に冠関詞が付け加えられると共に、相手(二人称)に対する動詞も語尾変化させ、それに伴って第三者の動詞も語尾変化させた。そして、いったん冠関詞ができると、男女や身分に応じて冠関詞が多用されるようになっていく。(侵略語において冠関詞が多用されるようになったのは、殺伐とした侵略語に、ある種の潤いを与えるためだったのかも知れない。)

他方、侵略を知らない日本では、中国由来の「御前」「貴方」「君」等の尊称が使われたが、庶民間では尊意よりも親和の意の方が強く、「おまえ」「あんた」「くん」等、およそ尊称とは感じられないような親和語に変化していった。また「我々」や「私」という1人称は省略され、使われないことが多い。

現代の言語学は、侵略戦争たけなわの4000年前~3000年前に出来たセム語やハム語や印欧語を中心にしてそれらを構造化したものであるが、それ以降、それらの言語の構造は変化していないので、現代の言語学には歴史=進化史が欠如している。従って、言語を分類し構造化するその基準は、進化史的な根拠を持たない恣意的な基準でしかない。

例えば、本来の人称代名詞の必要度は、みんな・彼ら・我々であるが、侵略以降の言語のみを分析して、順位をI・you・heに入れ替え、1人称・2人称・3人称と名付けたのは、言語学者の犯した大きな誤りであろう。とりわけ、日本の言語学者がそれをそのまま鵜呑みにして使ってきたことが、日本の言語教育に大きな混乱を生み出すことになった。「1人称」と呼ぶと、あたかも1人称の文型こそが始原であり基本であるかのような錯覚を生む。現に教科書は「I am a boy」から始まっており、それが英語を訳の分からない物にしている元凶だと言っても過言ではない

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2020年06月04日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか

米国ミネアポリスで起こった黒人死亡事件に対する大規模抗議デモはジョージ・ソロスの息子が資金提供をしたらしい。いまだに社会を分断、対立を起こし、そこから利益を得ようとする勢力がある。そしてそれをたきつけるマスメディア。まさに今、時代の転換点であるから、繰り返される策略に嵌ることなく冷静に次代を見据ることが必要だ。

これまでと違い、普通の人にとっての現実をとらえる感覚、視点こそが普遍的で、持続可能であり、人と人とのつながりがベースとなる共同体社会にとってはこれが重要なことで、今後はその潮流を軸に社会の再編成が進行していくものと思われる。

現代市場社会を経て、江戸の村落共同体のようには一足飛びに移行できないし、また社会そのものの圧力構造が異なるのでそれを再生するだけでは次代に適合しないだろう。今回は、共同体社会の実現がどのように創られていくのかを探ってみたい。

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2020年06月02日

言語の進化過程(5) ~より正確に考える必要から文言が2語以上になり、語順規則が出来ていった~

日本語は、名詞のあとに「て・に・を・は」などの助詞をつけることで、名詞を主語にしたり目的語にしたりします。このように助詞や助動詞を接着剤のように単語にくっつける言語を【膠着(こうちゃく)語】と言います。
それに対して、アイヌやエスキモーやインディアンは、現在でも一つの文言を一語で表す【抱合語】を使っています。それら隔絶された地域に残された抱合語は、人類の原初的な言語の形を現在に伝えていると考えられらます。

以下、るいネットの記事から、人類が洞窟から出た後、言語がどのように変化していったかを探ります。(リンク)(リンク

◆1.5万年前~1万年前頃の抱合語

【エスキモー語の例】
qayar-pa-li-yug-a-qa(カヤック-大きい-作る-たい-私-お前)
「私はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」
【アイヌ語の例】
a-e-kore(私-お前-与える)「私はお前に与える」※「て・に・を・は」がない一語。
a-e-ipe-p(我々-それ-食事する-物)「食器」

アイヌ語では、主句・対象句・述句という語順規則が見られるが、エスキモー語の場合、語順規則も明確ではなく、その瞬間瞬間に最も言いたい言葉を順に並べただけのように見える。
おそらく、より隔絶度の高いエスキモー語の方が古い言語だと考えられ、洞窟を出た原初の言語は、エスキモー語に近い、「て・に・を・は」はもちろん、語順規則さえ明確には定まっていない(言いたい単語を言いたい順に並べただけの)一言だったのだろう。
つまり、1.5万年前の人類の言語は、エスキモー語のように、語順規則もさだまっていなかったと考えられ、1万年前頃に、ようやくアイヌ語に見られるようにS・O・Vの語順規則ができたと推定される。
(なお、アイヌはユーカラという長大な伝承物語を持っているが、部族の物語を伝える程度の文言ならば、て・に・を・は(関係詞)無しでも用は足りたという点は、注目すべきだろう。又、アイヌ語は縄文語から枝分かれしたと見られており、そうだとすれば縄文語も原初は抱合語であったことになる。この点も、興味深いところである。)

◆より正確に考える必要から文言が2語以上になり、それに伴って語順規則が出来ていった。

原初の擬態語は、より正確に考える必要から、緩急詞(副詞)と動容詞、および評価詞(形容詞)と対象詞という形に4種類の品詞に分化(=進化)したが、洞窟を出るにつれて考えるべき対象(=伝えるべき事象)が増えてゆき、それにつれて各品詞の言葉の数がどんどん増えていった。
とは云え、当初は、みんな(仲間)に対する呼びかけや役割を示す言葉(これらを関係言と云う)は、動容詞のみ、緩急詞のみ、評価詞のみ、あるいは対象詞のみでも意味は通じていた。また、自然現象を伝える言葉(現象言)も、当初は動容詞or緩急詞or評価詞or対象詞のみだったと考えられる。しかし、正確に捉える(→伝える)ためには、2品詞以上の文言が必要で、それが普通になってゆく。

2品詞の文言の場合は、評価詞+対象詞、緩急詞+動容詞という語順規則を定めるだけで問題はない。
対象詞と動容詞を含む文の場合も、侵略前の世界の全ての言語がそうであるように、対象詞+動容詞(つまり、名詞の後に動詞)とすることで済んだ。

しかし、洞窟の外に出る時間が増えるにつれて、認識対象がどんどん広がると共に、追求すべき(→伝えるべき)言葉の正確さも重要になってゆく。それは、文言の複雑化を招く。(一般に、正確に表現しようとすればするほど、文言は長くなり、従って構文が複雑になる。科学論文などに顕著である)
実際、より詳しくorより正確に伝えるためには、「いつ」「どこで」「誰が」「誰に」「何をした」という5相の語句=時句、所句、主体句、対象句、述句が必要になる。

その内、時句と所句は、すでに文頭と二番目に来るという語順が定まっていた。
また、それ以下の語順も、より原初的なアイヌ語やアルタイ語がそうであるように、主体句・対象句・述句という語順が定まっていた。これは、関係言であれ、現象言であれ、「何が」=何についての文言であるのかを示すことが優先し、次に「何に(or何を)」という対象を正確に示すことが優先したからであろう。
しかし、4語以上の文言になると、S・O・Vの語順だけでは、文言を構成できなくなる。

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2020年06月02日

【世界の各部族の婚姻形態シリーズ】変型交叉婚の風習を持つ部族

前回の交叉婚に引き続き、変型交叉婚の部族を紹介します。

リンクより

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■トダ・バタック族:フィリピン
・生活形態-スマトラ内陸山地の人喰種族。犬や豚を飼い、狩猟を営む。(農耕については不明。)人喰習慣を除けば、彫刻や建築の才能に恵まれ、ヒンズー文化を独自に発展させた文化的な種族で、固有のバタック文字を有する。

・男女関係-娘は適齢期になると、年配の女監督がいる娘小屋で生活。若者はここに自由に出入りすることができ、バンツン(四行詩)の掛け合い求愛。勝てば相手を自由にできる。但し妊娠はタブーで、婚前に妊娠した娘は、髪を切った上に婚資を値切られたり、自分より低い階級の男と結婚しなければならない。また強姦の場合は、男がその娘と結婚するか、婚資にかわる補償金の支払いが求められる。一夫多妻が認められており(婚資が高いので大半は一対婚)、酋長であれば3~5人の妻を持つが、第一夫人が権力を握って、第二夫人以下を労働に使っている。
※もとは交叉婚だったが、その後私有権が上昇し、財産継承権を明確にする必要から人工的一対婚が導入され、姦通がタブーとなった。

■イゴロット族:フィリピン
フィリピンルソン島の険しい山岳地帯で生活。女性は10 歳頃から娘小屋(オロッグ)で寝起きをし、男も12 才で独身男子専用の小屋に群居する。未婚女性はどんな男性とでも性交渉は自由で、若者たちはオロッグ内外でデートを楽しむ。結婚に際しては、花婿が人間の首を狩ってくることが条件になっており、首を持って部落に戻ると婚礼の式が始まる。式で花婿は、独身男性の一人一人に対して妻の所有権を宣言。以降妻は、夫以外の男を絶対に近づけてはならないとされる。この時点で既に別の男性の子を宿していることもあるが、その場合は夫婦の子供として育てるのが掟。
※もともと同類闘争圧力を背景とした勇士婚のなかで、首狩りという婚姻資格の規範が強固に確立されていたが、同類闘争に敗れ逃げ延びた地域が豊かであったため、発散欠乏が増大。しだいに婚前乱交化し交叉婚に近くなってしまったが、勇士婚の婚姻規範は健在。

■山地バンタラム族:フィリピン
全ての外来文化を寄せつけない未開地帯で狩猟・採集の放浪生活を送る。インド原住民によく見られる氏族組織はなく、男女共に各集会所で生活した後に交叉従兄妹婚(母方の伯父の娘又は父方の叔父の娘が相手)。姉妹の交換も行われる。
※もともと交叉婚が確立していたが、同類闘争に敗れ山岳地帯に逃げ延び、放浪生活に入ったことにより、同一居住という氏族の基盤が解体され、氏族組織なしの交叉イトコ婚に移行。

■コーイ族:インド
ゴタグリ地方の北部山地で生活。娘の伯父が結婚の決定権を持ち、一般には従兄妹同士の結婚が多い。掠奪婚、多妻の習俗もある。
※もともと交叉婚が確立していたところで、同類闘争に敗れ山地へ逃げ延びたため、交叉婚の名残を残す。加えて敗走途中で他部族から女を掠奪していったことから、掠奪婚の習俗も形成した。

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